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23.1.25 臨床研究演題却下事件を考える(1) 広島大名誉教授  難波紘二

病腎移植と日本臨床腎移植学会:臨床研究演題却下事件を考える(1)
鹿鳴荘病理研究所 広島大名誉教授  難波紘二


【要約】来る1月26〜28日に宝塚市で開かれる第44回日本臨床腎移植学会の演題募集に際して、修復腎移植5例の医学的要約を行う演題と最適なレシピエントの選択を担当したNPO法人の判定委員会の経験を述べた演題の2演題が、狙い撃ち的に却下されるという前代未聞の事件が起こった。採否を決めたプログラム委員会には学会理事長が出席し、却下を主張したという。
 演題の質が低かったからではないことは、医師側演題が5月開催の「米国泌尿器科学会総会」に採用されたことからも明らかである。発表の阻止が却下の目的である。
 この事件は、「臨床試験」の自由という医学の進歩・学問研究の自由と密接にからんでおり、日本の患者の福祉を阻害する要因がどこにあるかを明白に示している。
 日本移植学会も日本臨床腎移植学会も、法人化していない「任意団体」にすぎず、厚労省が認可した「臨床試験」の結果発表を妨害する権利などない。日本移植学会は07年と08年に定めた倫理規定と生体腎移植ガイドラインを違法なものとして、早急に改訂すべきである。

Ⅰ.臨床腎移植学会とは何か
 【日本「臨床」腎移植学会の歴史】
「日本臨床腎移植学会」という学会がある。腎移植は臨床的医療行為として行われるのだから、屋上屋を重ねるような名称だが、もともと1969年に「腎臓移植臨床検討会」として少人数のグループが温泉宿に泊まり込み、かみしもを脱いで浴衣がけで日本の腎移植をいかに普及させるかを熱心に議論したのが始まりで、1991年に「検討会」を「研究会」に改め、2003年になって「日本臨床腎移植学会」と名称変更したものだ。
 「日本移植学会」が発足したのは1965年だが、腎移植に関してはそれ以前に1956年の新潟楠移植、1964年の東大第二外科生体腎移植、65年の京都府立医大死体腎移植と何例も実施されている。今に尾を引く「和田心臓移植」は1968年夏のことである。
 この「検討会」を提唱し、一貫して支え続けたのが、学園紛争の東大を飛び出し東京女子医大に新天地を求めた太田和夫である。腎移植・人工透析の技術及びシステムの開発に尽力し、死体腎ドナーのネットワークの整備にも力を注ぎ、「臓器移植法」成立(1997)にも協力した。
が、明らかに内部告発に基づくと見られる「読売」の「欠陥US腎」輸入問題で失脚させられた。97年3月の定年退職後も「太田医学研究所」開設し、主として腎移植登録と統計作成という地道な作業を引き受けていたが、大腸がんを発症し、2003年の「学会化」に伴い事務局機能をかつて女子医大の助教授だった、新潟大学の高橋公太に引き継いだ。
 太田の活躍の場であり、今も腎移植数で日本一の実績を持つ東京女子医大に、事務局が残らなかったのには、理由があるが推測になるので避ける。

 【病腎移植事件と臨床腎移植学会】
 これまで「日本移植学会」の中の分科会にすぎなかった「臨床腎移植学会」が、急に脚光を浴びる契機となったのは2006年11月に表面化した「病腎移植」事件である。移植学会は、「第三者間移植は移植学会倫理委員会を通す」という規定に違反しており、「がんの腎臓の移植は禁忌中の禁忌」であるとし、関係病院に調査委員を派遣し調査に当たるとともに、厚労省に働きかけてこれを禁止した。そのために07年3月31日に「移植学会・泌尿器科学会・腎臓学会・病理学会」の「4学会共同声明」を予定していた。この声明を受けて、厚労省が禁止の局長通達を出すてはずとなっていたのである。
 ところが3月初めの日本病理学会理事会は、共同声明への参加を正式に拒否した。病理学的調査を行った3人の委員の誰も「腎癌の再発」を認めなかったのである。移植した臓器ががん化するのは小腸移植のような特殊な場合で、レシピエントに発生する癌はほとんどすべてレシピエントの細胞由来であることは、病理学的常識である。
 昨年11月の病理学会(小倉市)で慶応大の向井萬起男助教授と朝食を共にした。宇宙飛行士向井千秋さんの夫である。開口一番「移植学会の連中は、腎癌が移るなんてバカなことをいうから、笑ってしまうよ」と彼は言った。向井君の話によると、移植医には驚くほど免疫学の基礎知識も、がんの基礎知識も欠けているという。慶応大の病理診断部に籍を置いているだけに、十分な経験に裏打ちされた発言だと思う。
 同じような意見は、今回の「臨床腎移植学会」の招待講演者になっているハイデルベルグ大学移植免疫学オペルツ教授からローマの学会で聞いた。07年6月のことだ。「通常の免疫抑制剤は臓器拒絶にからむT細胞系は抑制するが、癌細胞を殺すNK細胞は抑制しない。だから仮に小さながんが移植時に持ち込まれても、NK細胞により破壊されてしまう」。それが彼の説明だった。
 後付けの説明になるが、病理学会理事会は正しい決定を行ったのだ。少なくとも今春、創立100周年を迎える「日本病理学会」の歴史に汚点を残さなかったといえよう。
 病理学会が参加を拒否したことで、数合わせのために急遽声がかかったのが「臨床腎移植学会」である。通常このような重要事項は理事長(高橋公太)だけでは決められず、常任理事会あるいは理事会、場合によっては評議員会の決定が必要になる。事実「日本腎臓学会」は理事会の議決を経ていないからという理由で当日の参加を保留している。従って3月31日(学会役員の任期満了日)の共同声明に正式に参加したのは「日本移植学会、日本泌尿器科学会、日本臨床腎移植学会」の3団体である。腎臓病学会は5月の理事会の後で正式に参加した。このことを正確に書いたのは「産経」だけで、他紙はすべて「日本腎臓学会」を入れて「四学会共同声明」と書いた。

 【法人格のない学会】
 07年6月以後、小径腎癌を用いた第三者間腎移植がオーストラリア・クイーンズランド州ブリスベーンで50例近く実施され、その成績が極めてよいことが日本で報道された。(ニコル移植)
ニコル教授の論文は英国の専門誌にも発表された。42例の日本の万波移植もヨーロッパやアメリカの学会で報告され、好意的に評価をうけ、08年1月にはフロリダの「全米移植学会冬のセミナー」で優秀論文トップ・テンの一つとして表彰された。
 これらの影響を受けて、カリフルニア大学サンフランシスコ校やマリーランド大学でも小径腎癌を用いた移植術が始まった。ニコル教授はその後ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ病院に移っており、英国でも修復腎移植が始まっている。
 こうした世界の動きを無視して、日本の「臨床腎移植学会」は「病腎移植」(修復腎移植)をあくまで阻止しようとしている。その方策として彼らが採用しているのが、「学会に演題を発表させない」、「腎移植認定医制度を設け、修復腎移植をする医師を認定医から排除する」という二つの方法である。
 この問題を掘り下げる前に、「日本移植学会」と「日本臨床腎移植学会」の「日本医学会」における位置ならびに法的位置について見ておこう。「日本医学会」は日本医師会の学術面を担当する学会で、正式に認可された学会はその「分科会」として位置づけられている。現在の会長は高久史麿である。日本医学会所属団体はグーグルで「日本医学会」を検索すると、その認定番号と「法的人格」の有無がすぐに一覧できる。
 それによると「日本移植学会」は番号79、会員数3,100名、理事長寺岡 慧、日本医学会評議員寺岡 慧、法人格なし、認定・専門医制度なし、となっている。ちなみに「日本病理学会」は番号6、会員数4,100名、理事長青笹克之、日本医学会評議員青笹克之、法人格=社団法人、認定・専門医制度あり、となっている。
 ところが問題の「日本臨床腎移植学会」は「日本医学会」に加盟しておらず、法的人格もない。理事長が新潟大学高橋公太で、事務局は京都府立医大移植・再生外科に置かれており、会員数は約1500名である。法人格がない点では「日本移植学会」も同様である。社団(結社)であって、法人格を持たないものを「権利能力なき社団」という。「任意団体」とも称する。営利を目的とする会社は商法の規定に基づいて登記すれば容易に法人となれるが、学会のように公益を目的とするものは民法の適用を受け、監督官庁の許可が必要である。
 歴史の長い「日本移植学会」が「日本医学会」分科会であるにもかかわらず、未だに社団法人になっていない理由は不明だが、「移植専門医制度」を持っていないことに注目する必要がある。このことは日本おいて「移植専門医」がシステマティックに養成されていないことを意味する。外科医もしくは泌尿器科医がたまたま必要性に迫られて、肝臓や腎臓などの移植を手がけているだけで、養成にあたって視野の広い、基礎免疫学や免疫抑制剤などについての教育を受けていないことを示している。上述の向井発言やオペルツ・コメントは、このことを支持している。
 ちなみに「病理専門医」の場合は、筆記及び実技(顕微鏡診断)の試験制でこれは相当高度の問題が出る。さらに受験資格において一定の病理解剖経験数、生検標本診断数、細胞診経験数、全国及び地方の学会への演題発表数・参加回数がチェックされる。同時に所属する施設から報告された年度別の病理解剖数、生検数、細胞診件数との照合が試験委員会で行われる。コネや情実の入る余地はまったくない。受験希望者は、皮膚、血液、脳など一般病院で経験する機会が少ない分野については、研鑽のために各地で開かれるセミナーに自主参加している。
 病理学会はこのような制度で現在約2,000人の現役病理専門医を確保しているが、不足が喧伝されている小児科医よりもはるかに不足している。08年に「病理診断科」が標榜科として認定されたことから、全国で病理志望の研修医・大学院生は増加傾向にあるが、その効果が医療現場に現れてくるのはなお数年先のことである。

Ⅱ.腎移植認定医とは何か?
 【権利能力なき集団による「腎移植認定医」制度設定】
 「日本臨床腎移植学会」は任意団体であり、「権利能力なき社団」である。それが「腎移植認定医制度」制度を発足させたのは、厚労省がいわゆる「病腎移植」を禁止し、これを保険診療からはずした07年秋のことである。
 「四学会共同声明」への参加でスポットの当たった「臨床腎移植学会」は2003年から「日本移植学会」内部で検討されていた「移植専門医」制度の検討を打ち切り、「腎移植認定医」制度を独自に発足させることを決め、理事会決定を経て07年2月の第43回日本臨床腎移植学会(学術会長、京都府立大吉村了勇)の総会で制度発足を決めた。
 専門医制度発足に際しては、これまでに十分専門医としての実績のある医師と未経験な医師を同一の試験制度で扱うわけに行かず、経験者を優遇する「経過措置」と「新規認定」の二ステップに分かれるのが通常であり、この場合も07年9月から4年間の年限をかぎって「移行措置」が開始された。10年度9月受付分で移行措置は終了し、11年度からは「認定細則」が適用される。
 「腎移植認定医」の実態とレベルは次項で詳しく検討するが、ここでは経過措置の場合も、新規認定による場合も、認定医の有効期間は5年であり、いずれの場合も審査料2万円、登録料2万円の合計4万円を払わなければならないことになっている。つまり認定医であり続けるためには5年ごとに4万円を支払わなければならない。年会費は5000円だが、学会誌を発行しておらず、学会参加費は1万5000円であるから決して安くはない。
 これだけの金銭的負担を行って「腎移植認定医」となって、何かメリットがあるかというと実はまったくない。10年7月の「改正臓器移植法」施行を前に、厚労省は死体腎移植の保険点数を上げ、家族間移植を主体とする生体腎移植の保険点数を従来の半分に減額し、政策的に死体腎移植の普及を誘導している。「腎移植認定医」となっても儲かる死体腎はほとんどなく、生体腎移植が中心であるから、こういう腎移植を行っても病院での評価は上がらないのである。
 また日本医学会の分科会でもなく社団法人でもない「権利能力なき社団」が作った制度を厚労省の役人が評価し、保険点数上でドクターズ・フィーを認めて優遇するというような事態も考えにくい。このような制度をあえて07年2月の総会で発足させることを決めた理由は、「病腎移植関係者を排除する」という意図があったとしか考えられない。
 現に「認定医制度委員会委員長」の相川 厚は、「2006年10月、腎臓売買事件に端を発した病腎移植問題、そして渡航移植など多くの問題を抱える日本においては今まさに必要とされる制度であります」と、その制度発足説明文の中で述べている。語るに落ちるとはこのことだろう。
 しかし多くの泌尿器科医が、日本臨床腎移植学会が「権利能力なき社団」であり、日本医学会の分科会でもないことを知らない。ただ漫然と「腎移植をやる以上、関連学会だから入っておこう」と考えているようである。

 【「腎移植認定医」のうさん臭さ】
 名前は実を表すものでなくてはならない。「腎臓移植認定医」と言われれば、素人はだれでも腎移植のプロフェッショナルだと思うだろう。ところが学会の「移行措置」を読むと、「臨床腎移植学会」へ3年以上の加入歴と、内科認定医または専門医、小児科認定医または専門医、外科認定医、専門医または指導医、あるいは泌尿器科専門医の資格があれば、内科医でも小児科医でも、外科医でも「腎臓移植認定医」の資格が簡単に取れてしまうのである。
1) 経過措置:ここでは新規加入者も会費を3年分遡って支払えば、「3年以上の加入歴」と見なすと書かれている。
 次に業績だが、論文と学会もしくは研究会発表数が合計で3以上あればよいことになっている。論文は筆頭者である必要はなく、学会/研究会発表のみの場合は、1個は筆頭であることが要求されている。
 3番目は診療実績で、これは外科系と内科系に分かれている。
 まず一番重要な外科系だが、腎臓のドナー、レシピエントの手術経験が各5例以上それもドナーに関しては助手であってもよく、10例を経験するのに要した期間も問題にされていない。
 要するに腎移植を自ら5例以上行っていれば、認定医になれるのである。
 内科系はどうか。まず第一は、移植後に生じる腎機能障害を人工透析、腹膜透析、血漿交換などで治療した経験で、3例が要求されている。ついで免疫抑制剤の使用経験で、同じく3例。三番目が術後内科合併症の治療経験で、これも3例。その次に来るのが、思わず笑ってしまうが、「腎移植手術の見学」2例。
 最後に非常に深刻なのは、「移植腎生検の診断」5検体である。これは腎臓内科医あるいは小児科医が、拒絶反応の有無の病理診断を行っていることを意味している。08年に「病理診断科」の標榜が認められ、すべての病理標本は病理診断科で一元的に診断するようになったのに、まだ内科系の病理診断を認めているのである。病理医にまかせれば、移植された腎臓内に浸潤しているリンパ球を免疫酵素抗体染色法でどのT細胞かを染め分けて、非特異的な炎症反応か拒絶反応かを容易に区別することができる。
 2)新規認定:通常の場合、大先輩がいるので認定制度の移行措置は基準が緩やかで、新規認定になると筆記試験が導入され、認定医になるのが難しくなる。これは認定医制度そのものが良質の専門医を育成することを目的としているからそうなる。相川委員長も挨拶では「腎移植認定医制度は腎移植の臨床の質を担保し、倫理的に正しい腎移植の発展を期するものであり、腎不全患者さらには一般国民の福祉に貢献するものであります。」と述べている。
 では本当に新規認定の「腎移植認定医」は「腎移植の臨床の質を担保する」ものになっているのだろうか? 11年度から始まる「新規認定」にかかわる「日本臨床腎移植学会認定医制度細則」を見てみよう。
 第5条に「認定医申請資格」が書かれているが、日本国の医師免許があるのは当然として、他の3項目は1)申請時に3年以上継続して学会員であること、2)内科系は通算1年以上、外科系は通算3年以上の腎移植医療の臨床修練を行い、必要な経験と学識技術を修得し、かつ医療倫理を遵守していること、3)総会に1回以上の参加かつ総会教育セミナーに1回(2単位)以上の参加があること。総会教育セミナーに参加が不可能な場合は1日集中セミナー(2単位)以上の参加で代用できる、となっている。さらに第7条で「試験は口頭試問で行う」と規定されており、筆記試験はない。試験委員数は10名である。
 重要なことは「移行措置」で必要とされていた他学会の「専門医」または「認定医」資格が必要とされていないことである。
 これはとんでもない制度である。「移行措置」の方はそれでも各学会の専門医または認定医の資格を前提として、論文・学会発表数、手術件数などクリアすべき具体的数値が明示されていた。新規認定の場合は他学会の専門医や認定医である必要はなく、内科系で1年、外科系で3年の臨床研修をすれば、基本的に「腎移植認定医」の申請資格が得られ、申請書類を出せば試験は口頭試問で行うというのであるから、これは「認定医のダンピング」としか言いようがない。
 聞くところによると日本移植学会の会員数は、08年の新規入会者82名に対して脱会者が403名もあり、300人以上の純減があったという。団塊の世代が現役を引退すると学会の会員数は急減するが、学会自体に魅力がないと、新入会員は増えず会員総数が減少に向かう。
 移植学会で起こっていることは、「臨床腎移植学会」でも起こっていると見るのが妥当であろう。1500人の会員の大半が50代の後半以上なのではないか。学会への出席が異常に強調されていることを合わせ考えると、「認定医制度」は「臨床の質の担保」などというものではなく、学会員の確保と「認定医」という称号をばらまくことで、5年に1回4万円の更新料を確保する方策ではないかとさえ疑念を抱かせる。
 もっと言えば2003年から日本医学会分科会である「日本移植学会」内部での「移植専門医」の議論が、臓器別分野の利害が錯綜してまとまらない状況を、06年11月の「病腎移植」事件を奇貨として、年間約1000件ある腎移植のみを対象に、この分野だけの先行設置に踏み切ったというのが「腎移植認定医」制度の本質であろう。
# by shufukujin-report | 2011-01-25 14:30 | 23.1.25 臨床研究演題却下問題(1

23.1.25 臨床研究演題却下事件を考える(2) 広島大名誉教授  難波紘二

病腎移植と日本臨床腎移植学会:臨床研究演題却下事件を考える(2)
鹿鳴荘病理研究所 広島大名誉教授  難波紘二


Ⅲ. 修復腎移植の臨床研究の展開
 【「修復腎移植」の禁止と撤回】
 「病腎移植」は前述のように、度重なる国際学会発表では高く評価されたが、国内では07年3月30日の髙原史郎阪大教授による「市立宇和島病院の25例の追跡調査結果がきわめて悪い」という、いわゆる「髙原発表」を受けて、翌31日「医学的にも医療倫理的にも受け入れがたい」とする「四学会共同声明」が発表され、すぐさま厚労省はこれを受けて「病腎移植」禁止の方向に動き、1ヶ月間のパブリックコメント聴取を経て、7月12日「病腎移植原則禁止」の局長通達を都道府県及び政令指定都市の首長宛に通達した。
 これに対して「病腎移植」の恩恵を受けた患者らは06年12月11日患者会「移植への理解を求める会」を発足させ、「病腎移植」を「修復腎移植」と呼び、この新しい医療行為への理解と普及を図る運動を立ち上げた。
 07年に入ると「修復腎移植を考える超党派の議員の会」が活動を始め、この問題について修復腎移植関係者、移植を受けた患者、学会関係者、国外の専門家、厚労省担当官の聴聞を行った。その結果、「修復腎移植」の有効性と安全性について確信を得て、08年12月厚労省に対して「臨床試験」としての再開を認めるように強く勧告した。
 他方、すでにNPO法人になっていた「理解を求める会」は修復腎移植の禁止により移植待ち患者が被った「幸福追求権」の抑圧に対して損害賠償訴訟を国と学会幹部を相手取って起こす用意をしていたが、新たな「国家賠償裁判」の発生を恐れる厚労省は、国会議員と患者団体の圧力に屈し、09年1月、先の通達にいう「いわゆる病腎移植は臨床研究として行う以外に行ってはならない」という文言の「臨床研究」の対象疾患は限定しないという追加通達を出した。つまり「小径腎癌」を利用した修復腎移植の臨床研究を全面的に認めたわけである。

 【「修復腎移植臨床研究」の開始と経過】
 この結果を受けて医療法人徳洲会本部では、「臨床研究計画書(プロトコル)」の作成作業に入った。これには、①プロトコルのデザイン、②研究に必要な症例数の決定、③研究参加施設の選定、④ドナーとレシピエントの選定方法、⑤ドナー及びレシピエントの手術場所、⑥レシピエントの治療と追跡の場所と方法、⑦「臨床計画」の登録場所の選定など、膨大な事務調整と書類作成の作業を必要とした。出来上がったプロトコルは、①厚労省、②大学医療情報ネットワーク(UMIN)、③米国NIH臨床試験ガバナンスへの登録を経て、09年12月にやっと実施体制に入り、暮れの12月30日やっと臨床試験第1例(第三者間)が実施された。
 当初徳洲会は、「5年以内に第三者間及び親族間の修復腎移植各5例の実施を目指す」計画であったが、10年3月3日に行った50歳代妻(小径腎癌)から50歳代夫(糖尿病性腎症のため人工透析中)への腎移植において、移植手術と生着には成功したものの、入院中の5月16日に早朝ベッドで急性心停止して死亡しているのが発見された。患者はヘビースモーカーであり、高血圧と不整脈があった。第三者間移植の場合であれば、レシピエントの適応にならないケースであり、「夫婦間移植」は免疫学的には第三者間移植に他ならない。にも関わらず移植が実施されたのは、妻に腎癌が見つかり透析中の夫に腎臓を提供したいという強い要望を
抱いて北九州市から宇和島を訪れたからである。
 この事件後、「親族間修復腎移植」計画は中止されている。
 第三者間移植については、その後、いずれも小径腎癌について、
 第2例:4月6日、ドナー50歳代男性、レシピエント50歳代女性
 第3例: 4月27日、ドナー70歳代男性、レシピエント60歳代女性(2度目の修復腎移植)
 第4例: 7月24日、ドナー60歳代男性、レシピエント60歳代女性
 第5例: 8月25日、ドナー60歳代男性、レシピエント50歳代女性
と実施され、手術はすべて成功しドナー、レシピエント共に社会復帰を果たしている。徳洲会プロトコルが「5年」と見積もった予定期間は、たった9ヶ月で達成されたのである。
 このことは日本における腎癌の年間発生数とそれに占める直径4cm以下の「小径腎癌」の割合をもとに推計すると、「小径腎癌は年間2000例以上発生しており、これらを腎移植に利用すれば数年間で日本臓器移植ネットワークに登録している移植待ち患者を一掃できる」という雑誌「医学のあゆみ」での著者らの主張を支持するものである。

 【ユニークなレシピエント選定】
 このプロトコル実施に当たっては、東京西徳洲会病院(東京都昭島市)に移植事務室並びに倫理委員会が設置され、それぞれ泌尿器科医で琉球大学名誉教授の小川由英氏、心臓外科医で元筑波大学教授の三井利夫氏が統括した。
 この中央委員会ではドナー及びレシピエントの適格性について医学的・倫理学的審査を行い、その結果をドナーに関してはドナー担当病院に、レシピエントに関しては、移植手術が行われる地元宇和島のNPO法人「移植への理解を求める会」の内部に設置された、5人の委員からなる「外部判定委員会」が中央判定の妥当性をチェックする仕組みを採用した。
 この5人には、法学者、弁護士、生体腎移植者、現役移植医・泌尿器科医、元公立病院長が含まれているが、移植術を行う宇和島徳洲会病院関係者は含まれていない。
 レシピエントの登録は宇和島徳洲会病院で行われ、腎機能検査を含め健康診断を受けた後、腎移植が必要と判断されれば移植待ち患者リストに登録される。「臨床研究」が始まった初期には、「修復腎移植」が知られておらず、登録者は6人程度であったが、現在では60名近くに増加している。
 日本移植学会の理論によれば「がんの腎臓」の移植を受けたわけであるから、レシピエントに何時がんが再発・転移しても不思議ではない。その責任は負いかねる、という理由で患者が居住地の病院で診療拒否に遭う恐れがある。このため術後の患者の管理については、「宇和島徳洲会病院へ通院可能である」という条件が「第一次臨床試験」の5例に関しては架せられた。具体的にはレシピエントは愛媛県内の患者に限る、ということである。
 レシピエントの判定は各項目の点数付けで行われ、総点数の高いものが上位になったので、選定項目上、愛媛県居住者は他県に比べて15点という高配点をすることで、この差別化は行われた。
 しかし、第一次臨床試験が成功し、第二次臨床試験が始まると、「修復腎移植」の認知度も高まり愛媛県外の協力病院も増え、県外からの移植希望者も増えたため「愛媛県内の患者優先」方針は見直しを迫られている。事実2011年1月12日に行われた通算6例目の修復腎移植では
初めて、愛媛県外(静岡県)の患者に対して移植が行われた。

Ⅳ.学会への演題投稿と理由なき演題却下
 【世界初の前向き「臨床試験」】
 「臨床研究」の形で小径腎癌を移植に用いた研究は世界初である。Buellら(2005)が報告した14例はシンシナチ大移植腫瘍登録に偶々含まれていた症例の追跡調査である。万波移植(2008)の7例は一定の計画性と方針の下に行われたものではない。同様にNicolら(2008)の49例も数は多いが、経験的に安全を確かめつつ徐々に適応を拡大しており、「前向き(prospective)」の臨床研究とはいえない。
 このような世界初の研究は、当然に「医学コミュニティ」の強い関心を呼ぶはずであり、他方担当した医師は利害を共有する「医学コミュニティ」に対して、結果を公表する義務を負う。それが本来の「学会発表」である。
 またこの研究では、純粋に医学的問題だけでなく、「多くの希望者の中から誰をレシピエントとして選ぶか」言い換えると「人工透析の苦痛を脱して普通の生活に誰を戻すか」という難しい選択を、NPO法人内の「外部判定委員会」が行った。死体臓器移植に関してはこの選定作業は「日本臓器移植ネットワーク」が行っており、医師も一般人も関与する余地がない。(寺岡 慧現日本移植学会理事長が、脳死判定者でありながら臓器移植実施者となったスキャンダルはあるが。)
 従ってこのNPOの外部判定委員会の経験も、腎移植順位優先者をどのようにして決めたのか、死体腎の配分にかかわる移植コーディネーターにとっても、あるいは将来「修復腎移植」の実施を考えている医師にとっても、貴重な情報となると思われる。
 学会とはそのような未知の新しい経験の報告があり、十分な学問的議論が行われて、初めて発展するのであり、さもないと「学会栄えて、学問滅ぶ」ことになりかねない。
 冬の時期に開かれる腎移植関連学会は「臨床腎移植学会」しかない。今年の学会長は兵庫県立西宮病院市川靖二副院長で、宝塚市の宝塚ホテルで「第44回」の学会が1月26日から28日までの3日間予定されていた。この学会は医師のみの学会ではなく、看護師やコーディネーターなどいわゆるコメディカルの参加と演題発表を認めている。演題申し込みの締め切りは10年9月25日であった。

【医師側の演題応募と却下】
 まず「臨床研究」の演題だが、これは研究総括者の小川名誉教授が筆頭となり、以下のような抄録をまとめ、電子メールで投稿した。
「修復腎移植に関する臨床研究(中間報告)
  小川由英 東京西徳洲会病院
  小林智治 東京西徳洲会病院
  小島啓明 宇和島徳洲会病院
  万波廉介 宇和島徳洲会病院
  北島敬一 鹿児島徳洲会病院
  西 光雄  香川労災病院
  光畑直喜 呉共済病院
  万波 誠  宇和島徳洲会病院
【背景】1991年~06年に42件の修復腎移植が実施された。医学的に妥当性がないと中断。「植臨床研究に際し、対象疾患については特段制限していない」と厚生労働省からの通知を受け、臨床研究の準備に入り、2009年7月に徳洲会グループ共同倫理委員会において小径腎腫瘍を対象とした修復腎移植臨床研究(第三者間生体腎移植)が承認、米国ClinicalTrials.Gov、大学医療情報ネットワーク(UMIN)、日本医師会治験促進センターへの臨床研究に登録、2009年10月よりレシピエント登録開始。
【目的】小径腎腫瘍(<4 cm)にて摘出された腎を用いた修復腎移植の有用性、安全性を評価
【進行状況】ドナーは年齢51-79歳 男性5、A型1、B型2、O型2名、RENAL scoreは6-7であった。現在までに56名が修復腎移植レシピエント登録(待機中2名死亡)。男性39名、女性15名。年齢31-83歳(平均58.7歳)、血液型A型24名、B型6名、O型19名、AB型5名。2009年12月30日に第1例手術実施、20010年9月現在までに第三者間5例、親族間1例の修復腎移植が宇和島徳洲会病院にて実施、経過観察中。現在のCREは0.77-3 mg/dlで、拒絶反応は合計4回経験した。修復腎臨床研究の概要を紹介し、詳細な臨床経過について報告する。」
 この抄録には「親族間移植」の1例が死亡したことが書いてないが、それは口頭で述べる予定だったと思われる。合計4度の拒絶反応が起きており、第三者間移植の難しさを物語るが、血中クレアチニン(CRE)値は0.77-3と正常またはほぼ正常域にある(正常値男性1.2,女性0.7)。
 臨床試験そのものの公開も、厚労省への届け出ではもちろん、米国NIHの「臨床試験統括委員会」、東大のコンピュータを利用した「大学医療情報ネットワーク」、「日医の治験促進センター」に登録されている。
 研究目的は「小径腎癌を用いた腎移植が死体腎、健康腎を用いる腎移植の代替治療法となるかどうか」であり、5例では症例数が不足のため「中間報告」となったものである。「臨床研究」そのものは、法的に適正な手続を踏んで行われており、関係者の誰もこれが却下されるとは思わなかった。
 しかし主催者側は10月30日にプログラム委員会を開催し、個々の演題を審査した結果として、この演題を却下した。その通知は学会長名で行われ、不採用の理由は不明である。

 【NPO側演題の応募と却下】
 上述のようにNPO(特定非営利活動法人)「移植への理解を求める会」では、レシピエント選定の作業経験をまとめて、次のような演題を応募した。
  「修復腎移植における当NPOの関わりと今後の活動について
    野村正良 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
    河野和博 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
    向田陽二 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
    仲田篤敏 特定非営利活動法人 移植への理解を求める会
 修復腎移植は2009年1月厚生労働省ががんを含め対象疾患に制限を加えないとの見解を示したことが後押しとなり、医療法人徳洲会が第三者を対象とする修復腎移植の臨床研究を実施し、2010年8月までに当初実施計画の5例を宇和島徳洲会病院において実施した。NPO法人移植への理解を求める会は徳洲会との協議を経て、第三者として当該臨床研究におけるレシピエント選定の適格性を判断するため、法人内にレシピエント選定確認委員会を設置し、徳洲会の倫理委員会等の審査機関を経たレシピエント選定を第三者として移植実施以前に確認を行ってきた。レシピエント選定確認委員会は学識経験者、腎移植医、内科医、弁護士、患者団体代表者の5名の医院で構成し、修復腎移植に係るレシピエントの移植候補者の選定に関する確認について、臨床研究に係わる移植事務室から依頼があった場合に、その確認を行っている。演題では当該臨床研究のドナー発生からレシピエント選定、移植までの過程についてその概要を示すとともに、臨床研究における特定非営利法人の関わりについて述べる。また、当NPOは当該臨床研究の拡充のため、特区申請として、「特区修復腎移植ネットワークの構築による臨床研究の推進」を要望事項として申請した。演題ではその内容を示し、腎移植関係者に修復腎移植の推進に理解を求めたい。」
 この演題が示すことは、日本で初めて腎移植においてレシピエントの選定作業に、腎不全と人工透析の苦しさを知る患者が積極的に、もっとも妥当なレシピエントを選ぶという作業に加わったという点である。患者、医師、弁護士、学識経験者が一緒になってレシピエントを選定する(実際には本部の選定の妥当性を検証する)というようなことは、日本の移植医療に歴史にかつてなかった画期的なことである。従って、この方法への賛否はともかく、十分に学会の演題として取り上げるに値するものと思われた。
 実際、市川会長もこの演題を採用する予定であったことは、10月8日付メールで「学会抄録集」に掲載する筆頭発表者(この場合は野村氏)の顔写真の送付を依頼していることでも明らかである。
 ところが11月17日になって「10月30日に開催されたプログラム委員会において審査の結果、貴演題は不採用になった」という市川会長からのメールが届いた。不採用の理由は明らかにされていない。

 【演題不採用はなぜ不当か】
 06年に表面化した「病気腎移植」問題において、移植学会幹部はさまざまな批判を行ったが、その一つに「こういう新しい医療を学会に報告することもなく、秘密に行って来たのがけしからない」というのがあった。
 事実はそうではない。動脈瘤の腎臓移植もネフローゼ腎の移植も、1973年発足以来、毎年開催されてきた「中四国腎移植懇話会」という地方会で発表されている。臨床腎移植学会には60名の医師評議員がいるが、中四国所属6名のうち3名は懇話会の発表を視聴しており、「病腎移植」について認識していた。
 「発表しなかったのがけしからない」というから、病腎移植42例の成績をまとめて、07年2月に、5月開催(サンフランシスコ)予定の「全米移植外科学会総会」演題として応募し、採用されると、日本移植学会理事長田中紘一は、メイタス会長宛に「警察が事件として捜査中であり、病理学会を含むいくつかの学会が共同声明を発表する予定であり、貴学会の演題として相応しくない」として却下するように求める公式の手紙を送った。宇和島腎臓売買事件の判決は06年12月に下りており、警察は「病腎移植」に事件性があると考えておらず、捜査していなかった。また、3月末に予定されていた「共同声明」に日本病理学会は参加しない決定をすでに下していた。
 このような虚偽を並べ立てた手紙を送り、メイタス会長を動揺させることで、演題発表の妨害を行ったのである。この日本免疫学会の公式書簡用紙にタイプされた、脅迫状まがいの手紙はすぐにスキャナーで読み取られて全米の要所に配布され、日本の病腎移植推進派にも届いた。「君の意見には反対だが、その発表を妨害する奴がいたら、生命をかけて阻止する」というのがアメリカ民主主義の根底にある。田中書簡の圧力に動揺し、「本演題は時期尚早であり、来年の学会に再応募することを薦める」という理由で、最終的に演題を却下したメイタス会長をアメリカ人は「腰抜けメイタス」と侮蔑的ニックネームで呼んだ。
 このメイタス却下でもその理由は明らかにされていた。一般的に学会の演題却下や雑誌投稿の論文を却下するに際して、その理由を説明するのは学会や雑誌編集部に要求される礼儀である。だが、S紙の記者の電話取材に対して市川学会長は「不採用の理由を説明しないのは、国際的ルールである」と虚偽の説明を行ったという。
 仮に演題に手法の上で、あるいはデータからの結論の導き方に問題があるとしても、それを演題として取り上げ、相互批判するのが学会の役割であり、それが開かれた学会というものである。特定の演題を狙い撃ち的に排除するのは、学会そのものが特定の党派であることを宣言しているに等しい。

 【二つの演題はなぜ、どのように排除されたのか】
 この学会のプログラム委員会は30人であり、その構成は医師26名、看護師2名、移植コーディネーター2名となっている。医師委員が異常に多く、看護師部門、コーディネーター部門の演題選択を独自に行うには、それらの部門の委員数が足りない。
 従って10月30日に開催されたプログラム委員会では、部門毎に事前チェックされた19の問題ありとされた演題が全体会議にかけられた。この委員会には、委員だけでなく市川会長と高橋公太理事長が出席していた。つまり純粋な「プログラム委員会」ではなかった。
 学会抄録集には学会の年度毎の演題総数の一覧表が掲載されており、この総数が多いほどその学会は盛会であったと見られている。従って、学会長はできるだけ多くの演題応募があることを望むもので、わざわざ演題を審査し却下することはしない。プログラム委員会の仕事は、類似演題をまとめて一つのセッションとし、招待講演、教育講演、シンポジウムなどの特別枠の間にはめ込む作業である。
 それなのに今回の臨床腎移植学会では演題採択権をプログラム委員会に付与している。
 事前チェックを受けた19演題のうち16演題は大きな反対がなく、ほぼすんなりと採用が決まったが、残り3演題が問題となり、最終的に却下となった。このうち2演題が「修復腎移植」に関するものである。
 プログラム委員会には髙原史郎阪大教授(修復腎移植患者訴訟の被告)、吉田克法奈良医大透析部助教授など修復腎移植反対派も加わっていた。これに「四学会共同声明」に加わった高橋公太理事長が参加したのであるから、「演題に発表の場を与えるべきだ」とする良識派の意見は押さえ込まれてしまった。高橋理事長は「上部団体の日本免疫学会がその倫理指針において小径腎癌の移植を禁止している以上、下部団体である本学会はこの倫理指針に反する演題を採用するわけに行かない」という主張を展開し、髙原、吉田らの支持を得て、2演題却下を多数決で可決したようである。却下された他の1演題については、状況が不明である。
# by shufukujin-report | 2011-01-25 14:20 | 23.1.25 臨床研究演題却下問題(2

23.1.25 臨床研究演題却下事件を考える(3) 広島大名誉教授  難波紘二

病腎移植と日本臨床腎移植学会:臨床研究演題却下事件を考える(3)
鹿鳴荘病理研究所 広島大名誉教授  難波紘二


Ⅴ.移植学会も臨床腎移植学会も頭を切り換えよ
【時代遅れのドナー基準】
 以上が臨床腎移植学会における「修復腎移植」の臨床研究に関係した2演題却下の実情レポートである。ところが少し遅れて「米国泌尿器科学会」の演題として応募した同じ内容の医師側演題は、採用が決まり5月に開かれる学会で発表されることになった。米国の学会は実質的に世界学会で、世界中から演題が集まる。会場のスペースの関係で、演題の選択制があるが、レベルの高い演題が集まるから、応募者の方で自己規制を行い自信のある演題しか応募してこない。これが本来の学会である。
 日本は誰が見ても「移植後進国」であり、慢性的なドナー不足に悩まされている。年間腎移植の件数が1000件を超したというが、登録した腎移植待ち患者は1万2000人もおり、移植待ち期間の死亡率は21%に達する。移植待ちの経費負担に耐えきれなくて、登録取り消しをした患者は1万5000人に上る。どういう計算をしても、年間1万人が新たな慢性腎臓病(CKD)として加わる日本の腎疾患構造では、1000件の腎移植で移植待ち患者リストを解消できないのは自明である。
だからこそ、2007年に日本はWHOから「自国のドナーを増やすように」勧告を受けたのである。
 その「移植後進国」の学会が腎臓ドナーの供給源を増やす臨床研究の発表を却下し、「移植先進国」の米国が同じ演題を採用する。一体どうなっているのか?
 高橋理事長が固執する「移植学会の倫理指針」なるものは、07年11月24日の総会つまり厚労省が「病腎移植原則禁止」の通達を出した後に改正されたもので、「第三者間腎移植」についは、以下のように定めている。
 〔2〕(1)-1-②「当該医療機関の倫理委員会において、症例毎に個別に承認を受けるものとする。実施を計画する場合には日本移植学会に意見を求めるものとする。日本移植学会は倫理委員会において当該の親族以外のドナーからの移植の妥当性について審議して、その是非についての見解を当該施設に伝えるものとするが、最終的な実施の決定と責任は当該施設にあるものとする。」つまり移植学会は口は出すが、責任は取らないというのである。この規定が施行されてから3年が過ぎたが、親族外第三者移植について、移植学会倫理委員会に意見を求めた施設と症例数を公表してもらいたいものである。恐らくゼロであろう。
 「臨床研究」に関しては次のような文言が「改正倫理指針」にある。
 〔5〕臨床研究:「臓器移植に関する臨床研究を計画する場合には、当該施設の倫理委員会の審査を経て施設長の承認を得た上で日本移植学会に意見を求めるものとする。日本移植学会は倫理委員会において当該臨床研究の妥当性について審議して、その是非についての見解を当該施設に伝えるものとするが、最終的な実施と決定と責任は当該施設にあるものとする。」
 ここでも口は出すが責任は取らない、という態度が明白であるし、何よりも「臨床研究」というものの本質が理解されていない。例えば病腎移植の臨床研究や腎移植に先立ってドナーからの骨髄移植を行いレシピエントの免疫系をドナーのそれに置き換えておけば拒絶反応は回避できるが、臨床血液学を巻き込むそのような「臨床研究」を評価する能力がいまの日本移植学会にあるのか?そもそも国家であれ、学会であれ「臨床研究」を統制することが学問研究の自由を統制することではないのか?
 さらに日本移植学会は08年5月18日の理事会で以下のような「生体腎移植ガイドライン」を制定している。これはドナーとレシピエントの適応基準を項目化したものである。レシピエントに関しては国際的に受け入れられている基準なので割愛するが、問題はドナー基準である。
「1.以下の疾患または状態を伴わないこととする。
d.悪性腫瘍(原発性脳腫瘍及び治癒したと考えられるものを除く)」
 という項目がある。これは20年以上前のイスラエル・ペンの学説であり、今日欧米で廃れているものである。むしろ日本では胃を中心とした早期がんや子宮上皮内がんが多いが、これを欧米では「がん」として扱っていないのに対して日本では「がん」として扱っている。がんつまり「悪性腫瘍」の定義と診断基準が日本と外国で異なっている現実にまったく無知である。
さらに、
「 2. 以下の疾患または状態が存在する場合は、慎重に適応を決定する。
a. 器質的腎疾患の存在(疾患の治療上の必要から摘出したものは移植の対象から除く)」
 という項目がある。
 これは具体的には何を意味しているかというと、親族間のドナー候補で術前の検査で破裂の可能性の高い腎動脈瘤の存在が見つかった。しかしこの場合には、移植が目的なので、腎臓を摘出して動脈瘤を切除し(修復し)移植することは構わない。しかし第三者の場合、健康診断で破裂寸前の腎動脈瘤が見つかり、腎切除術がおこなわれることになっても、腎切除の目的が治療にあるので、たとえ修復しても移植に用いてはならない、つまり修復腎移植は禁止する、という意味である。同じ病変でも、移植を目的とするかどうかで、移植の適否が分かれるという馬鹿げたダブル・スタンダードである。
 日本移植学会の「倫理指針(07.11.22改訂)」は生体臓器移植について、「健常であるドナーに侵襲を及ぼすような医療行為は本来望ましくないと考える。」と唱い「例外としてやむを得ず行う」ものと位置づけている。ところが現在日本で年間約1000例行われている腎移植手術の80%は親族からの健常ドナーからの移植であり、これは「例外」ではなく「常態」というべきである。移植学会はおそらく移植先進国の指針をコピーして自前の「倫理指針」を作ったつもりであろうが、現実とあまりにも乖離した指針に妥当性はない。

【間違った学会基準】
 さて以上の「日本移植学会倫理指針」及び「腎移植ガイドライン」に照らせば、「修復腎移植の臨床研究」は1)第三者間移植であるにもかかわらず、移植学会倫理委員会に届け出ていない(「倫理指針」〔2〕(1)-1-②違反)、2)「臨床研究」を行うことを移植学会倫理委員会に届け出ていない(「倫理指針」〔5〕違反)、3)治療目的で摘出したがんの腎臓を移植に用いている(「生体腎移植ガイドライン」2.a違反)ということになる。
 従って、「下部組織として移植学会の倫理指針に従うのが自分の役目である」と公言する臨床腎移植学会の高橋公太理事長は、そのかぎりにおいて間違っていない。しかしそれは「官僚的忠実さ」であり、「移植学会指導部の無謬性」を前提として初めて成り立つものである。
 同じようなことは中世から近世への移行期に起こった。ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見し、ついでアリストテレスの「重さが2倍ある物体は2倍の早さで落下する」という命題が誤っていることをピサの斜塔の実験で証明し、さらに木星の4つの衛星の観測から、「天が動くのでなく、地球が動くとしか考えられない」と地動説を唱えたとき、法王庁の神父たちは聖書に基づいてではなく、「法皇の無謬性」を根拠に宗教裁判を開き、ガリレオを断罪した。
 「日本移植学会」は法人ではなく任意団体であることはすでに指摘した。「人格権能なき団体」を訴訟対象とすることには困難があるので、患者団体はNPO法人を作り提訴権を獲得した上で、学会を構成する主要幹部を損害賠償裁判の被告として選んだのである。
 その任意団体が作った「倫理指針」や「ガイドライン」にどれほどの権威や拘束力があるのか?
 繰り返しになるが事実関係をもう一度確認しよう。日本移植学会は07年3月30日の「髙原発表」を受けて3月31日に「四学会共同声明」を発表し、「病腎移植」を医学的にも倫理的にも受け入れられない医療だと断罪した。これを受ける形で厚労省は「臓器移植対策委員会」での審議を経て、「臓器移植法」の運用に関する指針(ガイドライン)に一部改訂を加え、いわゆる「病腎移植禁止」を2007年9月15日、指針8として追加した。以下原文を引用する。
「8. 疾患の治療上の必要から腎臓が摘出された場合において、摘出された腎臓を移植に用いるいわゆる病腎移植については、現時点で医学的に妥当性がないとされている。したがって、病腎移植は、医学・医療の専門家において一般的に受け入れられた科学的原則に従い、有効性及び安全性が予測されるときの臨床研究として行う以外は、これをおこなってはならないこと。また、当該臨床研究を行う者は「臨床研究に関する倫理指針」(平成16年厚生労働省告示第459号)に規定する事項を遵守すべきであること。さらに、研究実施に当たっての適正な手続の確保、臓器の提供者からの研究に関する問合わせへの的確な対応、研究に関する情報の適切かつ正確な公開等を通じて、研究の透明性の確保を図らねばならないこと。」
 この厚労省のガイドライン改訂を受けて、日本移植学会の「日本移植学会倫理指針」が同年11月27日に改訂され、翌08年5月18日理事会決定として、「生体腎移植ガイドライン」を制定し「治療目的で摘出した腎臓の移植禁止」を打ち出したのである。注目すべきことは、いずれも自分たちの学問的権威や社会的影響力に依拠したものではなく、厚労省ガイドラインという「虎の威」を借りていることである。
 厚労省ガイドライン8は「いわゆる病腎移植」の臨床研究に当たっては、「研究に関する情報の適切かつ正確な公開」による「研究の透明性の確保」を求めており、演題を学会で発表させないという措置は、このガイドラインの精神をまったく無視したものといわざるを得ない。

【「現時点」は刻々と動く】
 ところで移植学会幹部が金科玉条としたこのガイドラインは10年1月14日に変更された。つまり厚労省は「現時点」という語句をガイドライン改訂時の07年と狭く解釈し、3年後の「現時点」には当てはまらないとしたのである。「病腎移植」関係のガイドライン変更部分は以下の通りである。
「いわゆる病腎移植の臨床研究の実施に際し、疾患対象についてはガイドラインにおいて特段制限していないこと。
 個別の臨床研究の実施に関しては、臨床研究を行う者等が、「臨床研究に関する倫理指針」に規定する事項を遵守し、実施するものであること。」
 第1項は移植学会が真っ向から反対している「小径腎癌」を臨床研究の対象として含めてもよいことを意味している。
 第2項は、厚労省の「臨床研究に関する倫理指針」に従って行う臨床研究であれば、特定の学会や団体に拘束されないことを意味している。
 換言すれば、「日本移植学会」が要求する第三者移植の場合の届け出と学会審査、「臨床研究」の届け出と学会審査、「治療目的で摘出した腎臓の移植への利用禁止」などの規則が、厚労省により否定されたことを意味している。
 2008年12月に厚労省が「超党派議員の会」代表及びNPO法人「移植への理解を求める会」代表と会合を持ち、患者団体から突きつけられた新たな「国家賠償裁判」の道を回避するために、「臨床研究」の承認とそのための「対象疾患に制限を設けない」ことを約束することで、2007年9月の局長通達で封印された「病腎移植」は封印が解かれたのである。09年1月の文書はそれを追認するものでしかない。
 ところが06年11月から07年3月31日に至るなりふり構わぬ学問的虚偽と政治的動きにより、厚労省を動かし9月17日の「病腎移植」禁止の局長通達を出させることに成功した移植学会と臨床腎移植学会は、勝利に酔うあまり自己絶対化に陥り、病気腎移植禁止を学会指針に盛り込み、第三者間移植と移植に関する臨床研究をも自分たちの管轄下に置こうと、規定改正を行った。
 腎移植の行われる施設は「医療法人」または「独立行政法人」などの法人であり、それを行う医師またはコメディカルはその職員である。任意団体である日本移植学会や臨床腎移植学会がこれらの施設や職員を規制する法的権限などないのである。
 09年12月30日から開始され、現在までに6例が実施された修復腎移植「臨床研究」の進展により、事態は3年前と大きく変わったのである。今や移植学会が07年に作った「倫理指針」と08年に作った「生体腎移植ガイドライン」が時代遅れとなり、厚労省新ガイドラインと不一致を来しているのだ。人間は自分に不利な情報は耳に入らないという特性をもつ。修復腎移植は頭から「悪い医療だ」と信じ込んでいるから、その進展状況も情報が入らず、上部団体の移植学会に遠慮して、今回の2演題却下という措置に出たのであろう。それが「移植学会の無謬性」を信じてのことだとすれば、「法皇の無謬性」を信じてガリレオを弾圧した法王庁の神父たちと変わるところがない。つまり学会の形式は近代的だが、中身は中世のままだというしかない。
 何度でもいうが、修復腎移植は「コロンブスの卵」、「第三の移植」と呼ばれるように、ドナーとレシピエントの両方を同時に救うことのできる「コペルニクス的転回」をもたらす移植術である。1991年に最初の移植を受けた44歳の男性は、この1月に生着20周年を達成し、この3月には関係者による祝賀会が予定されている。

 【患者裁判の現状】
 移植学会の幹部5名(田中紘一、大島伸一、寺岡 慧、髙原史郎、相川 厚)を被告としてNPO法人「理解を求める会」のメンバー6人が総額約6500万円の損害賠償訴訟を起こした。「病腎移植禁止」により、憲法が認めている「幸福追求権」が妨げられたことへの損害賠償である。松山地裁で行われているこの裁判に筆者は傍聴に通っているが、当初被告側弁護団長に面会し、「長期にわたる裁判となり、原告側に死者も出るから和解してはどうか」と申し入れたところ、「学会の名誉がかかっているから、和解には絶対に応じられない」という返事であった。
 被告側弁護団の戦略は「本件は高度に医学的判断がからんでいるので、裁判になじまない」という主張を展開し、裁判長に提訴を却下させる方針であった。当初担当した裁判官は、定年を目前にしており、本気で裁判を行う気配がなく、3回ほど審理したところで弁護士になるため辞任してしまった。4回目の公判は第一陪席であった女性判事が臨時に務め、新たに別の裁判官が訴訟を受け継ぐことと次回公判のおよその日時を決めた。
 毎回の裁判は小法廷で開かれ、原告側は途中死亡した透析患者の訴訟を継承した母親が遺影を抱いて出廷したのを初め、全員が出廷し、弁護団も全員出席した。これに対して被告側は被告の出廷は一度もなく、弁護団の出廷も5名のうち2〜3名に留まった。傍聴席はおよそ30席あるが、報道陣以外の一般人はすべて修復腎移植支持派で、反対派の傍聴者はいなかった。
 2010年4月に新裁判長が着任し、「実質審理を行い、しかる後に司法判断になじむかどうかを決定する」という新たな訴訟指揮方針を明らかにした。これは被告側弁護団の「門前払い」戦略が破れたことを意味する。事態の急変を弁護団から聞かされた移植学会は大慌てで、「公判支援」資金集めのための「特別委員会」を立ち上げ、一般会員、評議員、理事という立場に応じて寄付金額を定めその徴収に乗り出した。さらに07年3月31日の「四学会共同声明」に参加した、日本泌尿器科学会、日本臨床腎移植学会、日本腎臓学会に対しても、寄付集めを要請し「特別委員」の選出依頼が行われた。
 一方、裁判の方も実質審理に入ったことで、原告側が立証のための「準備書面」として用意すべき資料を裁判長命令により被告側に提出させることが可能になった。目下問題になっているのは、①「小径腎癌は摘出するのでなく、がんを切除した後患者に自家移植すべき」という被告らの当時の主張で、該当年を含むその前後6年の統計が提出された結果、自家移植率は0.2%にも達していないことが明らかになった。②今、問題になっているのは市立宇和島病院の25症例を解析した髙原史郎の患者生存曲線が正しいかどうかで、全カルテが弁護団の手に渡り、解析中である。07年3月30日の髙原発表が捏造であったかどうかは、次回公判で明らかにされる予定である。このように患者裁判も少しずつ原告有利に展開し始めている。
# by shufukujin-report | 2011-01-25 14:10 | 23.1.25 臨床研究演題却下問題(3

22.11.2 第7回口頭弁論


修復腎移植訴訟 第7回口頭弁論
11月2日(火)松山地裁


自家腎移植は
ほとんど行われていない実態が判明
被告ら3病院はゼロ


 修復腎移植訴訟の第7回口頭弁論が、11月2日(火)午後1時30分から、松山地方裁判所で開かれました。
 先の第6回口頭弁論で、争点となっていた争訟性の有無について、裁判長が「最終的には判決で判断するが、今後は実体的な審理を進めていく」とし、今回から実質的な審理が始まったことになります。
今回の裁判で注目すべき点は、万波誠医師らの修復腎移植に対して、学会幹部らは、「他人に移植できるのであれば、もとに戻すべきである」と、他人への移植よりもいわゆる自家腎移植をすべきだったと万波医師らを強く非難しましたが、その学会幹部らが所属していた大学病院の実態が明らかになったことです。

裁判所が関係の各大学病院に対して提出を求め、提出された資料によると、

1999年度から2008年度の間、

京都大学医学部附属病院泌尿器科(被告田中教授)、

東邦大学医学部附属病院(被告相川教授)、

大阪大学医学部附属病院(被告高原教授)、

においては、自家腎移植はいずれも0(ゼロ)であったことが判明しました。

この学会幹部3被告らの関係病院は、自家腎移植を行っていなかったわけですから、少なくとも、万波医師をはじめとする他の移植外科医に対して、自家腎移植をすべきだとは言える立場にないはずです。

なお、5大学病院全体では、

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数2140件

内、腎癌を疾病とする自家腎移植症例数 12件

自家腎移植症例数割合 0.56%であり、自家腎移植ということ自体が、極めて一般的ではない稀な手術であるということがわかると思います。

従って、修復腎移植問題が発覚した当時、「他人に移植できるのであれば、もとに戻すべきだった(自家腎移植をすべきだった)」旨の非難を行った学会は、自家腎移植ということ自体が、修復腎移植が行われていた当時極めて一般的ではない稀な手術であったにもかかわらず、それを知ってかあるいは知らずか、いずれにしても、きちんとした根拠に基づかない恣意的な批判を繰り広げていたことになるはずです。

次に、被告高原教授が生着率が悪かったと非難した市立宇和島病院の修復腎移植25名分のカルテについて、その提出を裁判所に求めたのに対し、現在13名分のカルテしか提出されていません。

12名分のカルテが出ないのであれば、高原教授が分析した手持ちの基資料を裁判に提出すべきだ・・・との声も上がっています。そうでなければ、高原教授は、はたして何に基づいて25名分の分析を行ったのでしょうか・・・。ということになります。

今後の公判で、学会側声明の信ぴょう性の有無が引き続き明らかになると思います。





平成20年(ワ)第979号損害賠償請求事件
原 告  野 村 正 良  外6名
被 告  大 島 伸 一  外4名
準備書面(9)
2010年10月29日



松山地方裁判所民事第2部  御中

原告ら訴訟代理人
弁護士  林     秀  信
弁護士  岡  林  義  幸
弁護士  薦  田  伸  夫
弁護士  東     隆  司
弁護士  光  成  卓  明
弁護士  山  口  直  樹


1 被告らが修復腎移植の問題点として、「移植できる腎臓なら、摘出後に修復して患者に戻す手術(自家腎移植)をすべきである。」と発言していることに対し、原告らは、自家腎移植はリスクが高く、実際の医療ではほとんど行われていないし、また、可能であっても患者の希望により自家腎移植しないで腎臓を摘出する場合があるので、これら被告の発言は、虚偽の発言(事実と異なる発言)であり、違法行為に該当する旨主張している。

2 原告らは、平成22年1月12日付調査嘱託申立書において、原告らの主張を立証し、ほとんど自家腎移植が行われていないことを明らかにするため、先進的医療を行っていると推察される被告らが所属し、あるいはかつて所属していた大学病院に対し、調査嘱託の申立を行った。

3 調査嘱託先の各大学病院からの回答結果をまとめたものが、別紙「腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数、自家腎移植症例数および内、腎癌を疾病とする自家腎移植症例数一覧表」で、1999年度から2008年度の間、京都大学医学部附属病院泌尿器科、東邦大学医学部附属病院、大阪大学医学部附属病院においては、自家腎移植(腎摘出の原因として腎細胞癌以外を含む。)自体、症例数はいずれも0(ゼロ)であった。

自家腎移植の実績がある名古屋大学医学部附属病院および東京女子医科大学病院においても、名古屋大学医学部附属病院では、自家腎移植症例数(腎摘出の原因として腎細胞癌以外を含む。)は13(なお、腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数342中、自家腎移植症例数は4)、東京女子医科大学病院では、自家腎移植症例数(腎摘出の原因として腎細胞癌以外を含む。)は24(なお、腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数831中、自家腎移植症例数は8)に過ぎなかった(5大学病院において腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例2140中、自家腎移植症例はわずか12に過ぎず、その割合は、0.56%【12÷2140】である。)。

4 上記3の結果から、被告らの上記1の発言は虚偽で、原告らの上記1の主張が事実であることは明らかとなった。

以上



1999年度~2008年度調査

名古屋大学医学部附属病院
(被告大島)

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数・・・342件

自家腎移植症例数・・・13件

内、腎癌を疾病とする自家腎移植症例数 ・・・4件


東京女子医科大学病院
(被告寺岡)

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数・・・831件

自家腎移植症例数・・・24件

内、腎癌を疾病とする自家腎移植症例数・・・8件
 

京都大学医学部附属病院泌尿器科
(被告田中)

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数・・・340件

自家腎移植症例数・・・0件


東邦大学医学部
(被告相川)

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数・・・338件

自家腎移植症例数・・・0件


大阪大学医学部附属病院
(被告高原)

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数・・・289件

自家腎移植症例数・・・0件


5大学病院合計 腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数 2140件

自家腎移植症例数            37件

内、腎癌を疾病とする自家腎移植症例数  12件

腎細胞癌を原因とする腎摘出手術症例数中、自家腎移植症例数割合 0.56%(12÷2140)


22.11.2 第7回口頭弁論_e0163728_19272767.jpg

# by shufukujin-report | 2010-11-03 19:00 | 第7回口頭弁論詳細

22.8.3 修復腎移植訴訟 第6回口頭弁論

修復腎移植訴訟 第6回口頭弁論

2010.8.3(火)     


平成22年8月3日(火)午後1時30分から、松山地方裁判所において開かれた日本移植学者幹部らに対する患者訴訟の詳細は次のとおりです。


(出席者) 
原告4名 原告代理人5名 被告代理人2名 傍聴人約30名


(裁判の内容)

1、本訴訟が「法律上の争訟」にあたるか否かとの判断について、最終判断は判決で示すが、現段階では裁判所は、法律上の争訟性があるものと判断し、実質的審理を進めることを決定した。
 従来被告らは、本裁判は原告らが修復腎移植の医学的妥当性を争点としており、それは高度の医学的・専門的問題の適否の判断を裁判所に求めるもので司法審査の限界を超えているので却下(門前払い)判決をすべきであると主張してきた。
 原告らは、これに対し原告らの主張は具体的な被告らの発言、発表が違法な不当行為にあたるとしており、医学的妥当性の問題は、その判断に必要な限度・範囲で問題にするにすぎないと主張してきた。
 前回の裁判から、原告らはこの点の明確な釈明を行い、今回裁判所もこれを容認して実質的審理を続行することを決定した。

2、原告らの従来からの申立てに対して、次の判断をした。

(1)修復腎移植を受けた病院から転院した患者について、転院先のカルテの取寄せを申立てたのに対し、裁判所は、さらに原告らがその取寄せの必要性を補充して主張するのを待って、検討するとした。
  原告らは2010年1月12日付書面で転院先6病院に対し患者12名分のカルテの取寄せを求めていたが、裁判所はとりあえず市立宇和島病院の症例25例に限り、原告側で被告高原が誤った分析をしていることを主張せよと指示した。
  しかし、原告らは
①被告高原の「修復腎移植の成績が悪い」との発言、発表の真偽は、修復腎移植42症例の分析にもとづいて判断されるべきである。
②市立病院25症例についても、その成績の良否は、転院先のデータも判明しないと分析ができないので、その取寄せは必要である。
と考えている。そこで、これらの点の主張を補充して改めて裁判所の判断を求めることになった。

(2)被告5名のそれぞれの出身ないしは所属病院(いずれも一流病院)5病院に対し、各病院で過去10年間に行った自家腎移植数とその対比のための腎癌による腎摘手術数を各病院に対し調査する2010年1月12日付の申立てを採用した。
   原告らは被告大島、寺岡が修復腎移植に使える腎臓なら病腎を修理し患者に戻す自家腎移植手術をすべきであると虚偽の発言をしたことが違法行為にあたると主張している。
   そこで、現実には自家腎移植は難しい手術であり、ほとんど行われていないことを明らかにするため、本申立てをしていた。

(3)日本泌尿器科学会に対し、過去10年間に行ったアンケート調査(腎癌の手術数、腎全摘術数、部分切除数などの調査)の実施要領や調査結果の回答を求める2010年1月18日付申立てを裁判所が採用した。
   この申立ては、被告らが小径腎癌に対する手術は普通の泌尿器科医は部分切除をしている、などと発言したことに対し、これが虚偽であることを証明するため行っていたものである。

(次回第7回裁判)
(1)11月2日(火)午後1時30分
(2)予定 今回採用された調査の結果にもとづき被告らの違法行為を明確にするとともに現段階での原告らの入手資料により、修復腎移植の成績が良好であることを明らかにする。
# by shufukujin-report | 2010-08-11 23:21 | 第6回口頭弁論詳細