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26.2.25 3.18証人尋問

修復腎訴訟 証人尋問
平成26年2月25日、3月18日


 修復腎移植訴訟の口頭弁論での証人尋問が、松山地裁で2月25日と3月18日に実施され、原告、被告計6人の尋問が行われました

被告側の証人は、吉田克法日本移植学会理事(奈良県立医科大学准教授)と大島伸一同学会元副理事長(国立長寿医療センター総長)が出廷しました。2人の発言から、修復腎移植は何が何でも認めないという姿勢がよく分かりました。

また、この問題が表面化した2006年11月以降、学会は修復腎移植の「妥当性」などについて何の検討もしてこなかったことが証明されました。修復腎移植の再開を望む患者の切実な気持ちなどまったく頭になく、他人事のように無視し続けていることは、医師の態度として決して許されないことです。
 原告側からは、藤村和義証人(透析患者)、野村正良証人(修復腎移植者)、光畑直喜証人(移植医)、難波紘二証人(病理学者)の4名です。

証人尋問の発言の中から、その一部を紹介します。


 

癌持ち込み0.1%でも駄目 吉田 克法証人(日本移植学会理事)

柴田 崇弁護士(被告ら代理人) 病腎移植について、2006年~2007年当時は、どのような評価がなされていたか。

吉田証人 2006年に起きた臓器売買事件を機に、病腎移植が表面化した。移植学会と関係の腎臓学会、透析学会、臨床腎移植学会の4学会を含めた全5学会関係者は、その治療法について非常に驚いた。それで2007年に5学会は「病腎移植医は現時点では認められない医療である」とする声明文を出した。ただ、それには未来永劫、禁止されるような治療法とは書いていない。将来的に安全で、患者さんにとって有用であるということが確認された時点では、一般的な治療法として認められると思う。

 しかし、2006年~2007年の時期は、明らかに安全であるとか、患者さんにとって有益である、あるいは腎臓を提供された方に有益であるということが確認できていなかった。したがって、関連5学会は、その時点では病腎移植は認められないという声明文を出した。

○現在では安全性、有益性が確認されているか。

●当時も、現時点でも、癌の症例を含めて、患者さんにとって有益である、安全である、あるいは腎臓を提供された方にとって有益である、安全であるということは確認されていない。

○移植ができる患者を一人でも多くしていくという移植医療の視点で考えると、何が大切か。

●移植医療は非常にすばらしい治療法だが、問題は提供者が少ないことだ。そこで一番大事なことは、献腎移植を増やすことだ。学会はそのことに真剣に取り組んでいる。

○腎移植を増やすに当たって、気をつけなければならないことは。

●提供者の意思と家族の考えを最も大事にしなくてはいけない。提供者の安全性、家族の不安感をなくすのが一番大事だと思う。

○移植において、悪性腫瘍のある患者を提供者とすることについて、どう考えるか。

●病腎移植が行われていた時期、スタンダードな考えは、一部治癒した悪性腫瘍は別として、悪性腫瘍を持っている患者(担癌患者)さんからの移植、特に生体腎移植は禁忌というものだ。肝臓移植なども同様だ。現在も、その考えは変わっていない。、

○他人の癌は転移しにくく、病腎移植は安全であるという見解もあるようだが、この見解について、どのように考えているか。

●腎臓の癌は、血行性転移が多い癌の一つだ。したがって、腎臓の癌を摘出した後でも、われわれの経験上、あるいは論文でも、10年後、20年後に癌が再発したという報告も多数ある。腎臓の癌、特に今回問題となっている尿路系の腎臓の癌は結構、転移が多いので、転移、播種のないように手術するのが原則だ。

癌細胞は免疫力が弱ると発育してくる。したがって、他人の癌細胞であろうが、自分の癌細胞であろうが、免疫力が非常に弱い患者さんの場合、特に移植手術後、免疫抑制剤を大量に投与する患者さんは、抵抗力、免疫力が弱くなり、癌細胞が発育すると、われわれは教わっている。教科書にもそう書いてある。したがって、他人の癌は移りにくいという報告は見たことがない。

宮沢 潤弁護士(被告ら代理人) ドナーの癌の持ち込みの可能性が、仮に1%でもあった場合、移植医療として移植学会は推進、推奨することはできるのか。

吉田証人 それはできない。 

○危険性があるからということか。

●そうだ。

光成 卓明弁護士(原告ら代理人)ドナーの癌が持ち込まれる恐れが1%でも許容できないと言う話は、ずいぶん高すぎる数字だと思うが、たとえば0・1%でもいけないのか。

吉田証人 移植の場合は、数字が非常に低くても駄目だと思う。

○(病腎移植について)各病院での調査が終わってから現在に至るまで、学会に病腎移植についての研究グループ、あるいは研究チームは作られているか。

●移植学会の特別委員会で、検討している。しかし、病腎移植だけを対象とした委員会はない。そういう会合も行っていない。



生きる道は移植しかない 藤村 和義証人(透析患者)

薦田 伸夫弁護士(原告ら代理人) 

あなたは透析を始めて、どれぐらいになるか。

藤村証人 7年と11カ月になる。

○透析が長くなるにつれて、何か体に異状は出ていないか。

●おととしから、足の動脈硬化で血管が詰まって石灰化し、足の動脈を広げる手術を受けている。過去、5回(手術を)している。

○石灰化について、(主治医に)何か言われたことはあるか。

●CTの検査で腹部大動脈、胸部大動脈、両脚の辺りの動脈に石灰が沈着しているようで、石灰化が始まっていると言われた。

○石灰化が進むと、どうなるのか。

●心臓まで石灰化し、心筋梗塞で死亡するそうだ。

〇透析生活を続けてきて、体調が悪化してきているということだが、今の状態から抜け出すために,希望していることは。

●6年前、移植をしないと助からないと思い、(日本臓器移植ネットワークに)移植の希望登録をしようと考えた.。しかし、1万2000人が待っていて、待ち時間が長いと聞いて、修復腎移植の方が(実現の)確率が高いと思い、こちらに(徳洲会宇和島病病院で)希望登録をした。

○移植学会の人たちが(修復腎移植に反対して)いろいろ発言している。あなたはどう感じたか。

●私の生きる道は移植しかないので、移植学会の方々が反対しているのは、理不尽だと思った。なぜ、駄目なのか、理由を知りたい。



患者無視の学会は理不尽 野村 正良証人(修復腎移植者)

岡林 義幸弁護士(原告ら代理人) 腹膜透析を始めて2年半ぐらいたったときに死体腎(献腎)移植を受け、手術は成功したということだが、透析から解放されたときの気持ちは。

野村証人 透析期間中は一日中頭が痛くて、吐き気がして、階段を10段くらい上がっても、心臓がばくばくするような、そういう生活を送っていた。ところが、移植を受けた途端、元の元気な体に戻った。全然出なかったおしっこも出るようになり、それは快感だった。

○仕事にはどんな変化があったか。

●元気なころとほとんど変わらない仕事ができるようになった。スポーツもできるし、食事制限もなくなった。

○「命よみがえる」(愛媛新聞社、1990年)という本を出されているが、この本を書いた目的は。

●移植を受けて元気になり、移植とはこんなにすばらしいものかという実感を持ったので、ドナーが増えて透析をされている人が一人でも多く移植ができ、自分と同じように元気になっていただきたいという願いを込めた。これは使命感を持って書いた。

○「愛媛腎移植者友の会」(現えひめ移植者の会)という団体を設立されたが、その目的は。

●移植を進めるために、移植を受けた人たちが、もっと声を上げていこうというのが目的。実は市立宇和島病院の名誉院長(当時院長)、近藤先生から「患者会は組織できないのか」という話があって、移植のすばらしさを知ってもらうために、患者同士でそういう話ができる会にしようと立ち上げた。

○移植を受けて健康的な生活ができるようになったが、その後、腎炎が再発したとのこと。そのときの気持ちは。

●移植腎は半永久的に持つものではないので、「とうとう来たか」という気持ちだった。今の日本の状況では、献腎移植はほとんど望めないので、またつらい透析に戻り、何年生きられるか分からないけれど、とにかく頑張ろうという気持ちだった。

○透析を覚悟したけど、奥さんの臓器提供で2度目の移植を受けることになったとのことだが、その結果は。

●残念ながら、血液型不適合ということもあって、うまくいかず1週間で駄目になった。

○その時の気持ちは。

●家内が本当にかわいそうで、腎臓をもらうのではなかったという気持ちになった。生体腎移植がいかに大変かということが、よく分かった。献腎を増やして、多くの人が移植を受けられるようにしなければいけないと思った。

○奥さんからの腎臓提供による移植が失敗した後、万波先生から(修復腎)移植の話があったということだが。

●家内にもらった腎臓を取り出して2週間くらいたったころ、先生から話があった。「ネフローゼの患者さんが、いくら化学療法をやってもうまくいかないので、ご本人は『親族から腎臓をもらって移植を受けるので、腎臓を取り出してくれ』と言っている。その腎臓を移植する方法がある。たんぱくがぼろぼろ出ていて、成功率は五分五分だが、駄目もとでやってみないか」ということだった。

○どう返事したのか。

●私は「現状では一生、移植を受けるのは無理。2年でも3年でも持てば、その間だけでも透析をしなくてすむ。ひょっとして、もう少し長く持ったらラッキー」と思い、即「お願いします」と返事した。迷いはなかった。

○術後の経過は。

●最初は尿たんぱくが少し出ていて、やはり駄目になるのかなと思った。でも2、3カ月すると、たんぱくはピタリと止まって、それからは一切出なくなった。全く正常に機能している。

○今の生活はどうか。

●今年で14年目になるが、今も普通の人と変わらない生活ができている。以前のように元気になりで、定年まで働き、その後も嘱託で働いている。移植のおかげで、本当に快調だ。

○修復腎移植が表面化したときの日本移植学会の反応(バッシング)は、どう映ったか。

●一言でいえば理不尽。納得できない。万波先生のやり方が悪かったということは、多少はあると思う。ただ、その問題と修復腎移植の評価は別だと思う。自分自身がそういう腎臓をいただいて元気になっていて、だれからも文句は出ていない。なぜ全面的に否定するのか、理解できない。患者の声を全く聞いてくれないと思った。

○修復腎移植の問題が起きた直後、「移植への理解を求める会」を立ち上げた。その趣旨は。

●私を含め、移植手術によって、たくさんの人を救ってきた万波先生が、むちゃくちゃなことをやっていると非難され、医師免許を剥奪されそうな感じになっていた。私たちの会が加入している全国の移植者団体「日本移植者協議会」も、学会とまったく同じ論調で批判を始めたので、私たちが先生を支えないといけない、多くの人たちに真実を知ってもらいたいと、立ち上げた。

○患者の立場から見て、修復腎移植のメリットは。

●生体腎移植は、健康なドナーの体に傷をつけるため、提供する方も、もらう方も、心の葛藤がある。それに比べ、修復腎移植は治療のために捨てる腎臓を利用するわけだから、その葛藤がない。仮に手術が失敗しても、先生も患者も、気が楽ということがある。

○一度移植を受けた患者の立場からみた修復腎移植は。

●移植をすれば本当に長期間、元気で生活できる。移植は本当にすばらしいと分かっているので、こんな宝の山を、みすみす捨ててしまうのはもったいない。学会の先生方は何の検討もしないで、全部駄目だと言っている。その理由が理解できない。

○原告団のメンバーが移植を受けられず、次々と亡くなっている。どんな思いでいるか。

●裁判も5年目、この問題が起きてからは8年になる。その間にいろんな人が亡くなっている。早く修復腎移植を正当に評価し、再開していただきたい。海外では絶賛されているのに、日本の学会だけが「駄目だ、駄目だ」と言っているのはおかしいと思う。「現時点では妥当性がない」と言ったまま、その可能性を探ることもせず、かたくなに否定しているのは、医者としてどうかと思う。

患者さんを救うために移植を進めるのが移植学会のはず。古い医学的常識でバッサリ切って、後は他人事のように知らん顔。そんなことが許されるのか。厚労省はスタンスを変えて「患者さんのために臨床研究をやってください」と言っている。その臨床研究に対しても、足を引っ張るのは一体どうなっているのか。

○この裁判の判決に期待するところは。

●今どんどん亡くなる方々を一人でも早く助けていただきたい。学会の先生方が態度を変えざるを得ないような、温情のある判決をしていただきたいと思う。



医学的常識に基づき発言 大島 伸一証人(日本移植学会元副理事長)

被告大島代理人 修復腎移植、病腎移植に対する考えは。

大島証人 医学界は、それまでに行われていなかったような医療に対して、標準的医療と比べて、その医療がどういう水準にあるのかということを、社会にきちんと説明していく責任があると私は考えている。そういう点から、この問題をどう理解し判断したらいいかと考え、現時点ではこうすべきだと社会に説明してきたつもりだ。

 (この問題について)全体として、やめるべきだという意見が圧倒的に強かったが、私はどんな医療でも全面的禁止はするべきでないと発言した。100年前にすばらしいと言われていたことが何十年後かに、とんでもない医療ということになった例もあれば、その逆もある。そのことから考えれば全面的禁止はふさわしくないと発言している。

○万波先生が行ってきた修復腎移植を、どう見ているか。

●こう言うと「何だ調子がいい」と言われるかもしれないが、私は万波先生を移植医として高く評価してきた。私は一貫して普通の病院で医療を行ってきた。彼も私と同じような環境にいたので、本当に努力して移植をやってこられたと思う。

十数年前、私は厚労省の臓器移植委員会腎臓部会の委員長になった。そのとき、一番最初に万波先生を委員に推薦して、引き受けてくれた。委員はほとんどが大学関係者で、一般病院で移植をされている方は極めて少なかった。そういう意味で非常に高く評価していた。ただ、彼は委員会には一度も出席されなかった。

○悪性腫瘍を持つ腎臓の移植について、現代の医学界はどのように考えているのか。

●現在の見解がどうかは、私は知らない。長寿医療研究センタ-に移ってからは10年以上、長寿医療に専念していて、(移植医療の)論文も読んでいない。学会にもまともに出ていないので、現在の医療水準、医療状況がどうなのか、私には分からない。

 病腎移植が問題になったときは、担癌患者からの臓器移植はするべきでないというのが、医学界の常識だったと理解している。免疫抑制をすると、免疫機能が低下する。そして癌は免疫機能が抑制されると、増殖しやすいというのが通説だった。したがって、患者の臓器に癌がある場合は、その癌を取っても、普通の人よりはるかに高い確率で癌が再発する。そういう説が一般的なので、禁止されていたと理解している。

○ネフローゼの患者さんの腎臓を全摘して移植することについては、どうか。

●当時の医学の常識では、ネフローゼの患者さんの臓器が移植に使われたという例を知らなかった。腎臓学会や内科学会の中でも、移植に使っていいという根拠はどこにもないという見解もあった。

●最後に病腎移植の是非を、司法が判断することについて、どう考えるか。

●それは私の理解を超えたところだ。ただ言えることは、私は医療の専門家で、たまたま学会の副理事長といった立場で、社会と直接向き合うことになった。今、。社会ときちんと向き合って、どうしていくのかということを抜きに、医学界の存在価値はないと思う。

特に札幌医科大学で行われた心臓移植が問題になり、医療不信を招いてから、日本の移植医療は、世界の水準に比べ、30年ぐらい遅れたと私は思っている。あの経験から、社会の理解のもとに医療を進めていかなければ医療はあり得ないということを、私は学んだたつもりでいる。病腎移植の問題も、その考え方にのっとって対応すべきだろうと考えてやってきた。しかし、私たちは患者さんに訴えられた。本心を言うと、困ったな、なぜ訴えられなければいけないのか、と納得がいきにくいところがある。

薦田弁護人(原告ら代理人) 透析を受けている患者さんが、臨床研究として保険適用のない移植を受ける経済的余裕はあると思うか。

大島証人 非常に難しいと思う。

○「使える腎臓は元に戻せばいい」と発言されているが、現実には、自家腎移植はほとんど行われていないのではないか。

●少なくとも私は四十数例の経験がある。日本全体の実態はよく分からない。原則論を述べているだけだ。

○「腫瘍を取り除いても、かなり高い確率で再発する」「移植を受ける患者は免疫抑制剤を使うため、免疫機能が低下し、通常より癌になりやすい」「癌の臓器を(修復したものでも)移植することは常識でありえないし、医師として許されない」。これらの先生の発言の根拠は何か。

●それは当時の学会の常識といってよいのではないか。

○その常識の根拠は何か。

●その当時までの状況を見ると、そういった事実がある。

○その事実の根拠は何か。

●それはデータを見れば明らかだ。

〇どんなデータか、

●たとえば国際移植学会や日本移植学会のデータだ。

○先生は陳述書の末尾に「癌のある腎臓などの移植については、世界的に見ても、ようやく医学的検討が始まりかけた段階」と書いてある。その根拠は何か。

●私の耳学問の理解だと、その程度にとらえていただくと、ありがたい。この10年、私は移植の論文を読んでいないし、学会にも行っていない。

○ようやく検討が始まりかけた段階ではなく、世界的には既に認められているのではないか。

●私が現場から退いてから相当の時間がたっているので、自信を持って答えることはできない。

○部分切除と全摘の問題について、学会関係者は「部分切除が標準医療で、腎機能を温存すべきだ。全摘はドナーにとって不利益だ」と発言しておられる。先生も同じ考えか。

●もちろんだ。

○最後に、腎不全に苦しむ患者さんたちから提訴されたことについてどのように受け止めているか。

●こんな悲しいことはない。私も患者さんたちのために、家庭も何もかも犠牲にしてといえば大げさだけど、やってきたという自負はある。それなのに、患者さんから訴えられるとは。こんなつらいことはない。



リスクより利益が大きい 光畑 直喜証人(移植医)

山口 直樹弁護士(原告ら代理人) 「移植に使える腎臓なら患者に戻すべきだ」という批判、つまり自家腎移植を積極的に行うべきだという批判があるが、どう考えているか。

●(自家腎移植は)非常に患者さんの負担があるから、全国でも非常に少数例しか行われていない。大きな大学でも、腎癌に対しては、自家腎はほとんど行われていない。

○平成18年10月に臓器売買事件が発生するまで、修復腎移植はドナーの腎臓摘出、レシピエントへの腎臓移植、いずれも保険適用はされていたか。

●私のところでも、病腎移植は1991年から始めた。第1例は動脈瘤の患者さんで、当然、レセプト(診療報酬明細書)も請求も、ふつう通り行われ、受理されている。

○腎臓に癌ができた場合、直径4㌢以下の場合の全摘と部分摘出の比率はどのようなものだと認識しているか。

●現在は、どちらも標準治療だが、当時は70%ぐらいが、全摘だったと思う。

○修復腎移植を行っていた当時、他人の癌が移植によって移るかどうかという問題について、どのように考えていたか。

●絶対に移らないとは、患者さんらには言っていない。可能性は非常に少ないという事実に基づいて進めてきた。100%否定することはできない。、

○では、修復腎移植を希望する患者さんに対して、どのような説明をしていたか。

●リスクは絶対に否定できないが、リスクよりも、透析の患者さんが置かれている境遇、経済的、精神的、肉体的な疲弊などを考えると、ベネフィット(利益)がよっぽど大きいということで進めてきた。われわれの病院ではインフォームド・コンセントをしたうえで、患者さんの了解を得て、移植をしてきた。

 

日本発の世界に誇れる医療 難波 紘二証人(病理学者)

光成弁護士(原告ら代理人) 前回の証人尋問で、吉田さんが、癌がドナーからレシピエントに移る可能性が0・1%であったとしても、許容できないと言われた。これについてはいかがか。

難波証人 リスクはどんな医療でもある。透析患者さんの置かれている状況は、5年生存率が60%しかない、その現実を見た場合、社会復帰のためには移植をしたらよいということを、経験から知っている。今を生きるためには、リスクを少し許容して、ベネフィットを取るというのが鉄則だ。だから、0・1%(でも許容できない)というのは、全くナンセンスだ。リスクとベネフィットをどう考えるかということに尽きると思う。

○被告の高原史郎さんがされた修復腎移植の成績の解析には、どういう問題があるか。

●第1の問題は、瀬戸内グループが行った修復腎移植42例のうち、市立宇和島病院が絡んだ25件の症例しか扱っていないことだ。呉共済病院と宇和島徳洲会病院の症例が扱われていない。それから、統計に用いられた方法も明示されていないことがある。

○修復腎移植は海外の評価が高いと、陳述書に書かれている。それには、どんな理由があるのか。

●人口100万人当たりの死体腎の提供率は日本が0・6人、これに対して、スペインは50人。70倍近い差がある。世界を回ってみると、日本が移植先進国だなんて、だれも思っていない。日本の医学の他の領域では全部トップを走っているのに、何で移植医療だけが遅れているのかとみている。それが「ジャパン・プロブレム」という移植の世界の業界用語になっている。

 そこで「修復腎移植を日本が始めた」とか、「これでドナー不足を解消する方向に行く」と、評価が高い。日本が自助努力で問題を解決するだろうという期待感がある。そのために、万波論文が国際学会で表彰されたのだと思う。

○海外の学会関係者は、なぜ日本の学会が修復腎移植に反対するのかと、不思議に思っているようなこともあるのか。

●2007年にドイツのエッセンで開かれた臓器提供に関する学会で、米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校の女医さんに「日本で臓器移植が進まないのは、本当のところ、パターナリズムを捨ててないのじゃないか」と言われた。

患者さんが理解して治療の方法を選ぶのではなくて、医者が最適の方法を選ぶというのが、パターナリズムだ。確かに、患者さんの立場に立った医療が行われていない。相変わらず、医者が「これはいい。これは悪い」と指示を出している。そういう意味では「口で言っていることと、心の中で思っていることが違うかもしれない」と、私は答えた。

○前回の証人尋問で、吉田証人が癌の持ち込みについて「0・1%でもあったらだめだ。数十年後でも1例も出ないと認められない」という趣旨の証言をされた。この見解はどうなのか。

●ばかばかしい。医療はそういうものじゃない。「0・1%の危険性があるから、医療行為をやめる」言われたら、患者さんに殴られる。

私の母は75歳のとき、脳動脈瘤が見つかり、主治医の先生に手術をお願いしたら、「成功率は7割。30%は悪いけど失敗したら命を落とすかもしれない。どっちにするか決めてください」と言われた。現場の医療はその程度のリスクで動いている。母は30%のリスクでも手術を受けたから、90歳まで生きられた。

○欧米では、日本より献腎が多いのに、ドナーの拡大にマージナルドナー(高齢者や糖尿病患者など少し枠から外れたドナー)を対象にするなど努力している。日本はドナーが圧倒的に不足しているのに、学会が修復腎移植の導入に反対する。その学会の反対理由を、どう見るか。

●これまでの展開をみると、大きな論点が三つあったと思う。4学会が声明を発表した時点では、修復腎移植を批判する論理は「見たことも聞いたこともない医療。海外では行われていない」というものだった。その後、「癌が移ったらどうするのか」という問題が出てきた。日本で最初に行われた腎移植は病気腎を使っている。したがって、病気腎移植を否定したら、自分たちの先人を否定してしまうことになる。先人を否定して、どうするのかということだ。

国内では過去、病気腎移植が70例ぐらい行われている。それが明らかになると、論点が変わってきた。「小径腎癌を移植すると癌が移る」というものだが、米国でも欧州でも、転移した例は一つもない。

 次に、徳洲会が厚労省に臨床研究の結果をもとに、厚労省に先進医療の申請をしたら、4学会が厚労省に、修復腎移植を認めるなという要望書を出した。そこで、また論点が変わっている。「ドナーの不利益になる」というものだ。「腎臓を全摘したら、命が短くなる」と言っている。それを言っちゃ、おしまいだろうと、私は言いたい。

それを言えば、健康なドナー、親族から腎臓を取っているのは、犯罪になってしまう。

つまり、自分たちがやってきた生体腎移植も否定しまうことになる。自己矛盾していると思わないのかと、私は思う。

 修復腎移植は「日本発の世界に誇れる医療」だ。透析患者さんは毎日、何十人と亡くなっている。それを、もう8年も見殺しにしているわけだから、早く公的な医療として再開することを期待したい。学会の言い分は、論理として全部破綻している。なんとしても修復腎移植禁止を貫きたいという執念の産物としか思えない。



# by shufukujin-report | 2014-03-25 10:03 | 26.2.25 3.18証人尋問

24.5.8修復腎移植訴訟第12回口頭弁論


修復腎移植訴訟第12回口頭弁論

部分切除よりも全摘の割合高い

24年5月8日13時30分から松山地方裁判所で修復腎移植訴訟第12回口頭弁論が開かれました。被告が在籍した大学病院への調査嘱託の結果、10年間では、部分切除(41%)より全摘(59%)の割合が高いという事が分かり、部分切除が標準医療であるとの被告の主張について、事実と異なるという結果となりました。また、高原被告が宇和島市立病院の修復腎移植を解析した原資料に関する釈明を十分に行っていないことに関して、再度釈明を行うよう求釈明申立書を3月27日に提出しました。

「戻せる腎臓は戻すべき」と言う被告の主張は、すでに自家腎移植が0.56%しか行われていないということで事実と異なり、部分切除も当時の標準医療とは言えないことがわかりました。次回以降、高原論文の原資料が焦点となります。

次回は9月4日13時30分松山地裁にて開廷。
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修復腎移植訴訟第12回口頭弁論記者会見詳細報告


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13時30分から松山地裁で修復腎移植訴訟第12回口頭弁論があり、その後14時から当会の主催で伊予鉄会館3階ロビンルームにおいて記者会見を開いた。

光成弁護士の進行で山口弁護士が準備書面(15)の内容について説明を行った。

被告側は腫瘍径4cm以下の腎癌について以下の主張を展開している。
(1)相川被告が、平成20年3月19日、国会議員で作る「修復腎移植を考える会」において、4cm以下の小径腎癌は部分切除が標準的な治療法になってきている。

(2)病腎移植の提供者となった腎癌患者は全て部分切除で対応可能な患者であり、敢えて腎全摘術を行うことは患者自身の腎機能を将来的に悪化させ、生命予後も悪化させる不利益がある。

それに対し準備書面(15)で、原告は以下の反論を行っている。
(1)腫瘍径4cm以下の腎癌において、現実の治療として部分切除よりも全的が標準医療とされている。

(2)被告らが所属し、または所属していた大学病院に調査嘱託を行った。
  被告らが所属し、または所属していた大学病院は、言うまでもないが日本を代表する最先端医療を行う大病院である。このような大病院においても、小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)でさえ、以下のとおり部分切除より全摘出の割合が高い(5大学7病院合計数)。

ア 1999年度(平成11年)から2008年度(平成20年)合計
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:994件
    ② ①の内、全摘出:591件(59%)
    ③ ①の内、部分切除:403件(41%)

イ 各年度内訳
   (ア) 1999年度(平成11年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:74件
    ② ①の内、全摘出:50件(68%)
    ③ ①の内、部分切除:24件(32%)
   (イ) 2000年度(平成12年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:103件
    ② ①の内、全摘出:71件(69%)
    ③ ①の内、部分切除:32件(31%)
   (ウ) 2001年度(平成13年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:101件
    ② ①の内、全摘出:57件(56%)
    ③ ①の内、部分切除:44件(44%)
   (エ) 2002年度(平成14年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:76件
    ② ①の内、全摘出:50件(66%)
    ③ ①の内、部分切除:26件)
   (オ) 2003年度(平成15年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:95件
    ② ①の内、全摘出:61件(64%)
    ③ ①の内、部分切除:34件(36%)
   (カ) 2004年度(平成16年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:99件
    ② ①の内、全摘出:67件(68%)
    ③ ①の内、部分切除:32件(32%)
   (キ) 2005年度(平成17年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:98件
    ② ①の内、全摘出:65件(66%)
    ③ ①の内、部分切除:33件(34%)
   (ク) 2006年度(平成18年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:117件
    ② ①の内、全摘出:58件(50%)
    ③ ①の内、部分切除:59件(50%)
   (ケ) 2007年度(平成19年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:104件
    ② ①の内、全摘出:51件(49%)
    ③ ①の内、部分切除:53件(51%)
   (コ) 2008年度(平成20年)
    ① 小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術症例数:127件
    ② ①の内、全摘出:61件(48%)
    ③ ①の内、部分切除:66件(52%)

(3) 瀬戸内グループが行った42例の修復腎移植は、平成3年(1991年)から平成18年(2006年)までの間のことであり、当時の日本において実施されていた小径腎癌(腫瘍径4㎝以下)の手術は、今回の調査結果よりも、全摘出の割合が高かったであろうことは容易に想像ができる。

(4) 被告らの上記1の主張が全く事実と異なることは明白で、極めて悪質と言える。
以上

つづいて求釈明申立書について光成弁護士が解説した。
第1 釈明を求める事項
1 通称高原論文の市立宇和島病院における修復腎移植の生着率・生存率の算出に用いた資料(以下「高原解析使用資料」)は、日本移植学会から送付された文書(甲C第34号証)のみであったか。
2 その資料の他に原資料(一次資料)はあるのか。
3 甲C第34号証の資料の作成者は誰で、原資料は何か、被告高原は甲C第34号証の作成者を知っていたのか。 

第2 釈明を求める理由
1 2011年3月28日に同様の求釈明申立を行った。
2 被告は平成23年9月9日付準備書面(8)で「学会から提出された甲C34号証である。作成者・原資料については学会に尋ねられたい。」と主張。
3 被告高原は甲C34号証の資料の作成者・原資料に対する回答を拒否。原告らは2011年9月12日付準備書面(12)で回答を求めたが現在まで釈明がなされないのみならず、地裁からも書面で釈明も命じられない。

薦田弁護士が、「被告は反論できていない。準備書面13・14に対する反論もしていない。すでに、アメリカのナレスニク論文の発表があり、癌の移植は絶対禁忌から、実際に有効性を認められ、使って行こうという動きとなっている。自家腎移植もほとんど行っていない。反論をしてもらいたい。」と述べた。

被告は使える腎臓は戻すべきだと主張していたが、自家腎移植について調査の結果、京都大、東邦大、大阪大では行われていなかった。10年間で、2140件中、名古屋大、東京女子医大で12例のみだった。(0.56%)と山口弁護士は語った。


Q&A
Qテレビ愛媛:自家腎移植のリスクについて教えてもらいたい。
A山口弁護士:腎臓は1つあれば統計的には問題ない。自家腎移植は手術的にむずかしい。
 難波先生:腎臓を切り離し、もどすのが自家腎移植、切り離さず内視鏡で切除するのが部分切除である。自家腎移植の場合、元の位置に戻すわけではなく、そけい部に戻す。背部と腹部の2か所切らなくてはならず、体力的にも難しい。

Q共同通信:今回進展のあった部分は?
A山口弁護士:4cm以下の癌のある腎臓摘出、部分切除のデータで、全摘は古く、部分切除が常識という被告の主張が事実と異なることが分かった。今でも5分5分(全摘・部分切除)である。

Q毎日新聞:今後の流れについて
A光成弁護士:あと2回程度で原告側の書類提出は終わる。被告側の反論が出てくればもう少しかかるかも。その後反論がなければ、証人申請の運びとなる。
薦田弁護士:原告と被告双方の主張が出尽くした時点で、本人の尋問となる。原告のドナーの肝炎の主張を立証。修復腎に関する外国の文献の提出。

Q?:小径腎癌4cm未満の移植に関する被告の意見は?
A難波先生:論点が部分切除に移っている。保存療法をすすめているキャンベルは、小径腎癌のうち、部分切除が適用になるのは50%と述べている。残り50%は適用外で、この場合、全摘か体外に摘出して癌を切除しなければいけない。部分切除が進んでも1000~1500個の腎臓が修復腎移植に使える可能性がある。

Q朝日新聞:原告が言う不法行為とは?
A光成弁護士:被告の主張は学問的発言で不法行為には当たらないと裁判所に問いかけている。学問に重点を置き過ぎという原告の主張に関して、そうは思わない。被告の言説を学問的言説とも思えない。学問的言説とは学会等での発言と考える。

Qテレビ愛媛:先進医療に関して。又、訴訟終了後にとの厚労省からの働き掛けは無いのか。
A光成弁護士:書類上の不備について言われたことぐらいしかわからない。裁判が終わってからと言うことは聞いていない。
# by shufukujin-report | 2012-05-10 20:38 | 第12回口頭弁論詳細

「本物の医師になれる人、なれない人」 明治大講師の小林先生(医事刑法・医事法)

<お知らせ>

「修復腎移植は許される医療」

明治大講師の小林先生(医事刑法・医事法)

「本物の医師になれる人、なれない人」出版
昨年、NPO法人移植への理解を求める会の第2回総会で記念講演をしていただいた、明治大学法科大学院教育補助講師の小林公夫先生(医事刑法・医事法ほか)が、本物の医師に必要な「能力と資質」とは何か-をテーマにした「本物の医師になれる人、なれない人」を、このほどPHP研究所から出版されました。

同書は、過去のさまざまな医療事件や事故を例に挙げ、医師が医療や患者に向き合う姿勢は、どうあるべきかを探っています。内容は、序章 医師という職業、第1章 患者の望みに正しく答える、第2章 正当な注意力、判断力、第3章 正当な開拓精神、第4章 さらに求められる七つの能力、資質、第5章 医師に訊く「本物の医師の条件」-で構成。医師のあり方について、「患者さんの幸福を追求しているかどうか」が決め手とするなど、示唆に富んだ内容となっています。

このうち、第3章「正当な開拓精神」では、「病腎移植(修復腎移植)はなぜ許されるのか」の項目を立て、宇和島徳州会病院の万波誠先生らが手がけてこられた修復腎移植を「患者たちが待ちわびていた一筋の光明」であり、「治療行為の正当化に関する理論から、許される医療」として紹介しています。

その理由として、1)修復腎移植には医療の要請として、それが必要とされる切実な事情がある。2)移植が間に合わず病床で死を待つ患者を救うために、新たな移植用腎臓を確保することが喫緊の課題である 3)修復腎移植の手術は従来の外科手術の応用であり、手続きについても、病院内の倫理委員会で厳格な判断が下されているので、正当化の枠組みを逸脱していない-などを挙げています。ぜひご一読をお勧めします。
(PHP新書、定価720円)


「本物の医師になれる人、なれない人」 明治大講師の小林先生(医事刑法・医事法)_e0163728_873182.gif

発売日 2011年6月15日

著者  小林公夫著 《明治大学法科大学院教育補助講師》

解説
「頭痛の原因は歯の詰め物なんです。詰め物をした歯を全部抜いて下さい」。無根拠にそう言い張る患者に根負けしてしぶしぶ歯を抜いた医師は、のちに裁判で傷害罪に問われた。

 医師は患者の要求にどこまで応えるべきなのか。

 本書は医師に要求される判断力、法的思考力、さらに研鑽義務や開拓精神、コミュニケーション力などについて具体例を交えて解説。大学入試で問われる空間把握能力の分析や、現場の医師へのインタビューも行う。「医師の使命は積極的な健康の建設」という原則から、本物の医師の条件を説く。医師をめざす方、わが子を医師にしたい方、そして現役の医師の方にとって必読の一冊。医学部受験指導のベテランであり、また医事刑法、医事法を専門とする法学者でもある著者が、真摯に語る。


PHP新書から

# by shufukujin-report | 2011-07-16 08:16 | 本物の医師になれる人

23.3.8修復腎移植訴訟 第8回口頭弁論

修復腎移植訴訟 第8回口頭弁論
3月8日(火)松山地裁


平成20年第979号損害賠償請求事件
原 告  野 村 正 良  外6名
被 告  大 島 伸 一  外4名
準備書面(10)                     2010年1月19日
松山地方裁判所民事第2部  御中


原告ら訴訟代理人
弁護士  林     秀  信
弁護士  岡  林  義  幸
弁護士  薦  田  伸  夫
弁護士  東     隆  司
弁護士  光  成  卓  明
弁護士  山  口  直  樹

 本準備書面では、瀬戸内グループの行った修復腎移植42例の生存率、生着率(宇和島徳洲会病院の調査委員会報告書【甲C28】の作成に合わせて、2006年12月1日時点【各レシピエントの最終生存確認日】のもの。なお、以後の予後については、文書送付嘱託によって御庁に提出されたカルテをもとに、別途分析して主張する予定である。)について、以下の経緯でメディカル統計株式会社に依頼した結果について主張する。

1 訴状での主張
  原告らは、訴状の別紙4として瀬戸内グループの行った修復腎移植42例の結果を各疾患ごとに主張し、その結果をカプランマイヤー法で統計処理した結果は訴状の別紙5のとおりで、生存率(訴状別紙5の図1)・生着率(訴状別紙5の図2)ともに5年目以降に死体腎移植の成績よりも悪くなる傾向が認められるが、42症例のドナーは、そのうち28例(66.6%)が70歳以上の高齢者であり、生体腎、死体腎移植がなされる平均年齢よりも高いという特徴があることから、70歳以上のドナー腎が使用された成績(生着率)を比較したものが訴状別紙5の図3で、成績は、同年齢の死体腎よりは良く、生体腎よりは悪いというものであった旨主張した。

2 被告らの主張
  被告らは、訴状の別紙4の各疾患ごとの成績に関し、答弁書の9頁において、「(訴状)別紙4の各疾患ごとの成績は故意か過失か次のとおり明かな事実誤認が存在する。」旨主張した。

3 上記2に対する反論等
  被告らの主張は、どのような事実・根拠から、何がどう「明かな事実誤認が存在する」のか不明であるが、以下のとおり、明かな事実誤認は存しない。
 (1) (訴状別紙4のⅰ表2)提示番号7 症例番号14について
  ア 被告らの主張
    レシピエント60カ月生着・生存となっているが、実際には6日目に機能廃絶している。
  イ 原告らの主張
    当該レシピエントは、カルテの記載によると、6日目に機能廃絶し、10日目(1999年5月17日)に透析になったが、透析同日に再移植(修復腎移植)し(訴状別紙4のⅲ表4の提示番号2、症例番号15)、60カ月生存・生着している(以後、追跡不能)。
 (2) (訴状別紙4のⅰ表2)提示番号3 症例番号11について
  ア 被告らの主張
    レシピエント57カ月死亡とのみ書かれているが、2カ月弱で機能廃絶している。
  イ 原告らの主張
    上記アのとおりであり、(訴状別紙4のⅰ表2)提示番号3 症例番号11のレシピエントの「予後(月数)」欄にも「死亡(57)」と記載している。何ら事実誤認は存しない。
 (3) (訴状別紙4のⅰ表2)提示番号12 症例番号6について
  ア 被告らの主張
    レシピエント生存144カ月と記載されているが、生着期間は書かれておらず、実際は1カ月で機能廃絶している。
  イ 原告らの主張
上記アのとおりであり、(訴状別紙4のⅰ表2)提示番号12 症例番号6のレシピエントの「予後(月数)欄にも「生存(144)」と記載している。何ら事実誤認は存しない。
 (4) (訴状別紙4のⅲ表4)提示番号9 症例番号2、提示番号10 症例番号3について
  ア 被告らの主張
    ドナーの予後不明とされているが、各々1997年、1995年に死亡している。
  イ 原告らの主張
    そもそも、問題としているのはレシピエントの生存率・生着率であって、ドナーの予後は問題としていない。しかも、当該ドナーらの予後は追跡ができなかったところ、被告らの主張する当該ドナーらの死亡の事実は、宇和島市長の権限で追跡調査した結果判明したものだと聞いている。
 (5) (訴状別紙4のⅲ表4)提示番号1 症例番号7について
  ア 被告らの主張
    レシピエントの予後につき、生存135カ月としており、生着期間は明示していないが、実際には移植後20日で機能廃絶となっている。
  イ 原告らの主張
上記アのとおりであり、(訴状別紙4のⅲ表4)提示番号1 症例番号7のレシピエントの「予後(月数)欄にも「生存(135)」と記載している。何ら事実誤認は存しない。
 (6) (訴状別紙4のⅲ表4)提示番号11 症例番号4について
  ア 被告らの主張
    レシピエントの死因について原発性肺がんと記されているが、実際は尿管癌患者の腎臓移植の危険の項で述べたとおり、尿管癌の再発による腹腔内巨大腫瘍が死因であると考えられる。
  イ 原告らの主張
    被告らの主張は誤りである。当該レシピエントの死因は、カルテの記載によると原発性肺癌が肝臓に転移したものである。被告らは、「尿管癌の再発による腹腔内巨大腫瘍が死因である」とする根拠を提出されたい。
 (7) (訴状別紙4のⅳ表5)提示番号3 症例番号21について
  ア 被告らの主張
    レシピエントは移植後6カ月で死亡しているが、ネフローゼ腎の部分で説明した劇症肝炎による死亡である。
  イ 原告らの主張
    被告らの主張は誤りである。当該レシピエントは4回目の移植で、手術をしたところ、腹腔内に再出血を起こしており、膵臓が溶けていた。死因は急性膵炎である。
 (8) (訴状別紙4のⅳ表5)提示番号4 症例番号22について
  ア 被告らの主張
    レシピエントは生存82カ月としているが、生着期間の記載は無く、実際は移植腎の機能は発現していない。
  イ 原告らの主張
上記アのとおりであり、(訴状別紙4のⅳ表5)提示番号4 症例番号22のレシピエントの「予後(月数)欄にも「生存(82)」と記載している。何ら事実誤認は存しない。

4 レシピエントのデータの再検討
 (1) 文書送付嘱託の結果、市立宇和島病院、宇和島徳洲会病院、呉共済病院から送られてきたカルテ等を再検討し、レシピエントのデータをまとめたものが、甲C第31号証の別紙「42症例一覧表」である(繰り返すが、宇和島徳洲会病院の調査委員会報告書【甲C28】の作成に合わせて、2006年12月1日時点【各レシピエントの最終生存確認日】のものである。以後の予後(追跡調査)については、文書送付嘱託によって御庁に提出されたカルテをもとに、別途分析して主張する予定である。)。
 (2) 原告らは、甲C第31号証の別紙「42症例一覧表」および宇和島徳洲会病院調査委員会報告書(甲C28)をメディカル統計株式会社(住所:東京都中央区日本橋堀留町2-8-4日本橋コアビル1F、代表取締役:小田英世、以下、「メディカル社」という。)に送付し、①42症例のレシピエントの生存率・生着率の再解析、および②再解析の結果と宇和島徳洲会病院調査委員会報告書42頁の図1・2との比較を依頼した(甲C31)。
 (3) メディカル社が甲C第31号証の別紙「42症例一覧表」をカプランマイヤー法で解析した結果の報告書は、甲C第32号証の1・2である。
42症例の生存率のカプランマイヤー曲線は、甲C第32号証の2の図1、生着率のカプランマイヤー曲線は、甲C第32号証の2の図2で、訴状別紙5の図1・2(宇和島徳洲会病院の調査委員会報告書の図1・2【甲C28の42頁】)との比較については、以下のとおり結論付けられている(甲C32の1の4)。

  ア 生存率のカプランマイヤー曲線
    「宇和島徳洲会病院調査委員会報告書」図1のグラフから読み取ったレストア腎移植42例の生存率は、以下のとおりである。
    1年生存率 約92%
    2年生存率 約92%
    3年生存率 約90%
    4年生存率 約86%
    5年生存率 約75%
    10年生存率 約65%
    今回の解析結果は全く同じではないが、類似した値となった。
イ 生着率のカプランマイヤー曲線
    「宇和島徳洲会病院調査委員会報告書」図2のグラフから読み取ったレストア腎移植42例の生着率は、以下のとおりである。
    1年生着率 約78%
    2年生着率 約72%
    3年生着率 約70%
    4年生着率 約66%
    5年生着率 約50%
    10年生着率 約42%
    今回の解析結果は全く同じではないが、類似した値となった。

5 結論等
 (1) 上記4のとおり、原告らが訴状で主張した上記1の主張は確かなことが立証された。
 (2) 被告らがこれに異論があるのであれば、被告らは、甲C第31号証の別紙「42症例一覧表」を用いて、カプランマイヤー法によって42症例の生存率・生着率を解析されたい。または、被告らにおいて、文書送付嘱託によって取寄せた各病院のカルテを被告らにおいて分析して甲C第31号証の別紙「42症例一覧表」と同様のデータを作成してカプランマイヤー法によって42症例の生存率・生着率を解析されたい。
以上

甲C第32号証の1(PDF)
甲C第32号証の2(PDF) 
# by shufukujin-report | 2011-03-10 12:01 | 第8回口頭弁論詳細

23.2.19医療倫理から見た「病腎(修復腎)移植」問題; 健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦

MRIC 医療ガバナンス学会
http://medg.jp/mt/


医療倫理から見た「病腎(修復腎)移植」問題; 

日本移植学会の本末転倒


健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦



はじめに:

「病腎移植」問題の経過について、難波紘二・広島大学名誉教授が最近のMRICにおいて詳細を述べている(「病腎移植と日本臨床腎移植学会:臨床研究演題却下事件を考える」(MRIC Vol.21, 22. 2011))。そのなかで、日本移植学会の幹部5人が「治療を受ける権利と生存権を侵害した」として、透析患者らから裁判を起こされていることを知った。この裁判は「医師による患者の人権侵害」が問われている裁判である。そこで医療倫理の視点から「病腎移植」問題を検討した。なお生命倫理の視点からは粟屋剛・岡山大学教授によりすでに検討されているので参考にされたい(「病腎移植の『医学的妥当性』と患者の自己決定:生命倫理の視点から」NPO法人・移植への理解を求める会のホームページより)。

(1):日本移植学会の本末転倒が「患者の人権侵害」へ:

結論を先に述べる。「病腎移植」問題に対する日本移植学会の対応は本末転倒である。日本移植学会は「学会が決めた倫理指針」、「学会が決めた医学的正当性」、すなわち「学会の意向」を「患者の人権」より優先させた。そして「学会の意向」が「患者の人権侵害」となってしまった。そこで患者から裁判を起こされたということである。つぎにその構図を述べる。
日本移植学会は「倫理指針」を定めている。ヘルシンキ宣言などにもとづき、目的はもちろんドナーを含めた「患者の人権」を守るためである。「倫理指針」はそのための手段である。手段イコール目的ではない。「倫理指針違反」がそのまま「患者の人権侵害」になるということではない。また「倫理指針遵守」が必ずしも「患者の人権擁護」になるということでもない。目的と手段を取り違えると本末転倒となる。手段は目的にあった手段でなければならない。
「病腎移植」問題の発端は「倫理指針」違反の問題であった。「病腎移植」そのものが「患者の人権侵害」ではない、「心臓移植」そのものが「患者の人権侵害」ではないように。事実、「病腎移植」で救われている患者がいるではないか。日本移植学会は「倫理指針違反」への対応において過ちを起こした。その過ちとは「倫理指針」という手段を目的にしてしまったことである。そして「患者の人権擁護」という目的を忘れて、「病腎移植」そのものを否定してしまった。救われる患者の、救われる道を閉ざしてしまったのだ。これは「患者の人権侵害」に当たる。患者から裁判を起こされるのは当然である。
被告である日本移植学会の重鎮たちは「病腎移植」そのものを否定しているので、裁判では「病腎移植」を行うことそのものが「患者の人権侵害」であることを証明する必要がある。「心臓移植」を行うことそのものが「患者の人権侵害」であることを証明するようなものだ。明らかに不可能である。なぜこのように不毛な裁判を日本移植学会は続けようとするのだろうか。日本移植学会の過ちを、日本移植学会ホームページなどから、もう少し詳しく見てみよう。
「2006年11月に表面化した『病腎移植』事件」に対して、ただちに日本移植学会は対応した。一つは倫理指針に「生体腎移植の提供に関する補遺」を付け加えたこと、もう一つは会員あての声明「倫理指針の遵守について」(2006年11月13日付け)を出したことである。
「生体腎移植の提供に関する補遺」にあげられた項目は以下のとおりである。①:提供者の「自発的意思」の確認、②:提供者の「本人確認」、③:金銭授受などの利益供与が疑われる場合の対応、および、生体腎移植実施までの手順である。どこにも「病腎移植」そのものが「患者の人権侵害」であることは書かれていない。つぎに「倫理指針の遵守について」(2006年11月13日付け)であるが、これは「補遺」についての注意喚起の文章である。「日本移植学会はわが国における移植医療の適正な発展に責任を持つ。すべての会員は、医学的に適正であり、かつ本学会倫理指針を順守した臓器移植を行う義務を有する。」に始まっている。そして「今回の宇和島徳洲会病院に端を発した一連の件はきわめて遺憾であり、二度とあってはならないことである。日本移植学会としても今回の事態を防ぎ得なかったことの責任を痛感し、移植医療に関与するすべての医療従事者に本会倫理指針を遵守するよう強く要請する」で終わっている。
日本移植学会としては会員に倫理指針を遵守させるのは当たり前である。そこで「補遺」および「倫理指針の遵守について」を出した。しかし会員に倫理指針を遵守させるには前提がある。その前提とは倫理指針の内容が「患者の人権を守る」という目的にあっていることである。先の難波紘二・広島大学名誉教授のことばを借りると「移植学会指導部の無謬性を前提として初めて成り立つものである」ということになる。この前提を見失うと、「医学的に適正である」と学会が判断したことや学会が決めた倫理指針、すなわち「学会の意向」が「患者の人権」より優先されることにもなるのだ
 その後の状況を、先の難波紘二・広島大学名誉教授はつぎのように記載している。「移植学会は、『第三者間移植は移植学会倫理委員会を通す』という規定に違反しており、『がんの腎臓の移植は禁忌中の禁忌』であるとし、関係病院に調査委員を派遣し調査に当たるとともに、厚労省に働きかけてこれを禁止した」。また厚労省が禁止するまでの詳しい経過をつぎのように記載している。「2007年3月30日の高原史郎阪大教授による『市立宇和島病院の25例の追跡調査結果がきわめて悪い』という、いわゆる『高原発言』を受けて、翌31日『医学的にも医療倫理的にも受け入れがたい』とする『四学会共同声明』が発表され、すぐさま厚労省はこれを受けて『病腎移植』禁止の方向に動き、1ヶ月間のパブリックコメント聴取を経て、7月12日『病腎移植原則禁止』の局長通達を都道府県及び政令指定都市の首長宛てに通達した」。
 医学的にも医療倫理的にも受け入れがたい」とは「学会の医学的判断にもとづいても、学会の倫理指針に違反していることによっても、病腎移植は受け入れがたい」ということである。どちらも「学会の意向」によって「病腎移植」を禁止したのだ。この時点で忘れていることは、「病腎移植」そのものが「患者の人権侵害」に当たらないことである。このようにして、日本移植学会は「学会の意向」を「患者の人権」より優先させることにより「患者の人権侵害」をひき起こしてしまい、そして、患者から裁判を起こされたのである。

(2):「日本移植学会の本末転倒」を正すべきは誰か;
日本医師会長、日本医学会会長を裁判の証人に:

まず日本移植学会の位置づけである。日本移植学会は日本医学会の傘下にある。日本医学会は日本の医学界の代表である。日本医学会は日本医師会の中に置かれている。日本医師会は日本の医療界の代表である。日本医師会の設立目的は第一が「医道の高揚」、第二が「医学・医術の発達普及」である。日本医学会は第二の目的を果たすために日本医師会の中にある。日本医師会は、医学・医術の暴走(医学者・医師の暴走)をコントロールするために、「医道の高揚」を第一に掲げている。そして会員に「医の倫理綱領」、「医師の職業倫理指針」を配布しているのだ。
日本医師会と日本医学会が「車の両輪」となり、それぞれがそれぞれの目的のために「なすべきこと」をなし、「してはいけないこと」をしなければ、日本の医療は患者に信頼され、医師にとっても素晴らしいものとなるはずだ。しかし現実には、根深い医療不信があり、国民医療が破壊され、世界の先端医療から取り残されている。日本医師会、日本医学会が「なずべきこと」をせず、「してはいけないこと」をしているからだ(詳しくは「医療倫理から見た、日本医師会長と日本医学会会長の『ことばの裏』」(MRIC Vol.27、 2011.2.4)を参照)。
日本医学会の傘下にある日本移植学会が、学会ぐるみで「患者の人権」を侵害しているのである。それをコントロールするのは日本医師会の役目である。日本医師会は「医の倫理綱領」の冒頭でつぎのように述べている。「医学および医療は、病める人の治療はもとより、人びとの健康の維持もしくは増進を図るもので、医師は責任の重大性を認識し、人類愛を基にすべての人に奉仕するものである。」素晴らしいことではないか。しかし、日本移植学会は「学会による医学的判断」、「学会が定めた倫理指針」によって、「病腎移植」によって救われる患者を切り捨てているのだ。日本医師会の定めた「医の倫理綱領」に違反していることになる。日本医師会として「医道の高揚」を図る義務がある。それが設立目的の第一であり、「なすべきこと」である。日本医師会長は、日本医学会会長をつうじて、日本移植学会会長に「患者の人権侵害」という「医療倫理違反」を是正させなければならないはずだ、それが日本医師会の設立目的の第一であるから。原告団は、日本医師会長、日本医学会会長に公開質問状を出すなり、裁判の証人として呼ぶなりして、両会長の考えを聞けばよい。
「病腎移植」問題は、当初の移植医による「倫理指針違反」の問題から、日本移植学会という医師集団が犯している「患者の人権侵害」の問題になったのである。日本医師会がこのまま放置し、第一の設立目的を裏切るのであれば日本医師会の存立自体が問われることになる、設立目的を裏切る八百長相撲によって、公益法人の取り消しや存立自体が話題に上っている日本相撲協会と同じように。日本医学会もこれを放置するなら、「病腎移植」という先端医療で世界に後れを取ることになり、「医学・医術の発達普及」の責が果たせないのであり、また、救える患者を救わずに、医療不信を増悪させることになるのだ。

(3):構造的な問題としての「日本移植学会の本末転倒」:

日本移植学会は「倫理指針違反」への対応において、「倫理指針」という手段を目的にするという「誤謬」を起こしてしまった。そして「患者の人権擁護」という目的を忘れて、「倫理指針改定」によって「病腎移植」そのものを否定してしまった。それが「それによって救われる患者の救われる道を閉ざす」という「患者の人権侵害」に当たるのだ。「移植学会指導部の無謬性」の前提が崩れたことになる。「それによって救われる患者の救われる道を閉ざす」ことが無いようにと、心臓移植の「発達普及」に長年、尽力してきたのが日本移植学会ではないのか。そのような日本移植学会がなぜこのような「誤謬」に陥ったのか。そこに日本の医療界全体の構造的な問題があるからだ。
それを一言でいうなら「日本医師会が、ヘルシンキ宣言は受け入れているものの、マドリッド宣言の受け入れを頑なに拒んでいるからだ」ということになる。マドリッド宣言の受け入れを日本医師会は情報操作をしてまで阻止していること、そして日本医師会に情報操作をさせているのが日本の医学界であること、これが構造的な問題だ(日本医師会の情報操作の詳細については「日本医師会の情報操作、戦犯免責と「患者の人権」、そして日本医学会・日本医師会・日本学術会議の関係」(MRIC Vol. 355, 356; 2010) を参照)。日本医師会、日本医学会はなぜこのような態度を取るのだろうか。以下に概略を述べる。
ヘルシンキ宣言の成立過程については、中村利仁・北海道大学大学院医学研究科医療統計・医療システム学分野・助教の「ナチスドイツとヘルシンキ宣言」(MRIC Vol.378, 2010.12.14)に詳しく記載されているので参考にされたい。そのなかで、ナチスドイツの数々の非倫理的行為について「深刻だったのは、ナチスが全く合法に政権を獲得して、法制度を整えながら非倫理的行為に手を染めたがため、律義な普通の人々がそれに協力したことです」と記載されている。これを言い直すと、「法(すなわち国家権力)の無謬性」を前提に、(人体実験に加わった多くの医師を含めて)ひとびとは「国の意向(すなわち非倫理的行為)」に協力したということである。ナチス政権が非倫理的行為に手を染め、法制度を整えながら普通の人々を従わせた構造と、日本移植学会が「移植学会指導部の無謬性」を前提に、「非倫理的な改定」を行った「倫理指針」を会員に守らせようとしている構造とは、同じである。
ナチス政権下、「非倫理的行為」を行った関係者が「人道に反する罪」として罰せられたのがニュルンベルク裁判であり、このような非倫理的行為、とくに「本人の自発的同意の無い人体実験」に「倫理的歯止め」をかけるために考え出されたのがニュルンベルク倫理綱領である。これを直接に引き継いだのがヘルシンキ宣言(1964) であるが、世界医師会(設立は1947年)はまずニュルンベルク倫理綱領に盛られた考え方を、医師全体としての「新しい」あるべき姿、すなわち「新しい」医療倫理観とするべく努力したのである。その最初の成果がジュネーブ宣言である。世界医師会はその後にも多くの宣言を発表している。ジュネーブ宣言(1948)につづいて、WMA医の国際倫理綱領(1949)、ヘルシンキ宣言(1964)、リスボン宣言(「患者の権利宣言」)(1981)、WMA Declaration on Physician Independence and Professional Freedom(1986)などを発表し、「患者の人権が第一;To put the patient first」に最優先されるべきとする「新しい」医療倫理観を形作っていったのだ。そして「患者の人権を最優先する」という目的実現のために、各国医師会が取るべき手段を示したのが「professional autonomy and self-regulationに関するマドリッド宣言」(1987)である。「患者の人権を、国その他の意向よりも何よりも優先させる」と宣言(profess) することが「professional autonomy;医師集団としての自律」の意味である。患者の人権を最優先させなかった医師、すなわち倫理違反を犯した医師を処罰するのが「self-regulation;集団内自浄システム」の意味である。「professional autonomy and self-regulation」によって「医師集団として患者の人権」を擁護しようということだ(詳しくはMRIC Vol.268. 2010、「プロフェッショナル・オートノミー:日本医師会の情報操作と医療界のガラパゴス化(その2/5)」を参照のこと)。そしてこの「新しい」医療倫理観を多くの国の医師会が受け入れているのである。
一方、日本ではどうだろうか。「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」は、ニュルンベルク裁判でドイツ人医師が裁かれた「人道に反する罪」と同じである。戦後、関係者は戦犯免責により裁判にかけられることもなく社会にもどった。「戦争に科学者が協力したのは法にもとづいて協力したまでである」という考えにより、直接的に関係した多くの優秀な医学者を、そしてまた彼らを送りだした当時の医学界の重鎮たちを、日本の医学界は「倫理的な非難」から庇ったのである。「法」という国の意向があれば「人体実験」でも行うのがあたり前という考え方である。これでは「患者の人権」が守られなかったという反省に立って、「新しい」医療倫理観を示したのが世界医師会であり、その実現手段を示したのがマドリッド宣言である。「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」の関係者を庇うために、日本の医学界は「人道に反する罪」を反省しなかったのだ。そのために日本の医学界は、日本医師会に情報操作をさせてまで、「新しい」医療倫理観、そしてマドリッド宣言の受け入れを阻止しているのである。日本医師会は日本の医学界を正すべき立場にありながら、日本の医学界に「情報操作」という手を貸しているのだ。
「法」という国の意向があれば「人体実験」でも行うのがあたり前という考え方が、日本医師会の基本的な医療倫理観となって現在に至っている。もちろん日本の医学界の考え方も変わっていない。患者の人権意識の高まりとともに、さすがに国や、製薬会社などの意向があっても「本人の自発的同意の無い人体実験」は出来なくなった。そこでヘルシンキ宣言は受け入れたのである。しかし、基本的な考え方は変わっていない。その証拠が今回の「病腎移植」に見られる日本移植学会の対応である。学会が決めた「倫理指針」があれば「病腎移植」禁止という患者の人権侵害でも行うのが当たり前という考え方に陥ることになるのだ。日本移植学会の本末転倒は構造的なのである。

(4):構造的だから繰り返される、医師による患者の人権問題;「和田心臓移植事件」:

医療倫理の視点から、「和田心臓移植事件」を見ると次のようになる。
1968(昭和43)年8月8日、和田壽郎・札幌医科大学教授(当時)により世界で30例目、日本で最初の心臓移植という先端医療が行われた。「二つの死から、一つの生を」がキャッチフレーズであったが、レシピエントの死後、「二つの死」に対していろいろな疑惑がだされた。1969(昭和44)年12月、大阪の漢方医らが、和田教授を殺人罪・業務上過失致死罪で告発した。告発をきっかけに札幌地検が捜査を開始した。多くの疑惑があがったが、1970年8月、札幌地検は告発を不起訴処分とした。これで法的には無罪となった。
1973年3月、「心臓移植事件調査特別委員会」を設けて調査を行っていた日弁連は、和田心臓移植にドナー、レシピエントの人権上、重大な疑義があるとして警告文をだした。その内容を以下に示す。
「和田壽郎教授宛警告」:
1.心臓移植における受給者の適応は、当該心臓移植に関係のない内科医を含む複数の医師の対診の下に決定すること。
2.提供者の死の判決は、当該心臓移植手術に関係のない麻酔科医を含む複数の医師の対診の下にこれを行うこと。
3.関係資料の散逸を防ぎ、爾後の検索に支障なからしめ、いやしくも、隠匿または湮滅を疑しめるような行動をしないこと。
以上を警告します。
「同学長宛要望」:
診断に当たる医師と当該手術に当たる医師との間には、師弟関係、親姻戚関係の無いことが望ましい。

この日弁連の警告文の意味を読み取るには、この当時に有効であった昭和26 (1951)年制定の日本医師会「醫師の倫理」との関連を見る必要がある。「醫師の倫理」には次のように記載されており、括弧で警告文の内容と対比させた。
昭和26年日本医師会定「医師の倫理」   
第2 医師の心得
      第2章 医師相互間の義務
        第2節 必要なる対診は、努めてこれを行うべきである。(警告1,2)
        第3節 対診には、不誠実と競争心があってはならない。(学長宛の警告)
        第13節 患者について、他医からの聞合せがあった場合には、詳細且つ  迅速に、必要な記録を提供すべきである。(警告3)

日本医師会は戦後すぐに制定した医療倫理に、「対診」というpeer review(同僚評価)の重要性を盛り込んでいたのである。日弁連の警告文は和田心臓移植が日本医師会のこの倫理規定に反することを和田教授に警告するとともに、自身の定めた倫理規定の違反者に対処しない日本医師会に対する非難の文章となっているのである。倫理違反を指摘されても対処しない日本医師会、疑惑解明を困難にした「密閉性」(医局員以外を排除する形で心臓移植は行われた)の改革に乗り出そうとしない医学界、大きな医療不信を残したのは当然である。
なぜ、日本医師会は倫理違反者に対して処置を下さないのだろうか。日本医師会はその理由を「医師の職業倫理指針」(改定版)の序文でつぎのように述べている。「倫理は社会的ルールといえるが、基本的には個人的、内省的、非強制的なものであり、各個人が自覚を持ってルールを認識しそれを遵守することが最も大切であることは言うまでもなく、この倫理指針がそのお役に立てば幸甚である」。医療倫理の遵守は「個人の努力まかせ」という考えなのだ。「医師集団として、患者の人権を最優先して守ろう」とする世界医師会の医療倫理観に比べて、日本医師会のそれがいかに「古い」かということが良く判るであろう。
「患者の人権を最優先する」こともなく、また「医療倫理の遵守は個人まかせ」で倫理違反者を放置する、このような日本医師会の「古い」医療倫理観が、医師による患者の人権問題を繰り返させる構造的な問題なのである。

おわりに:

「和田心臓移植事件」は個人レベルの患者の人権問題であった。「病腎移植」問題は学会レベルの患者の人権問題である。残るは、「医療界ぐるみ」の患者の人権問題であるが、それが「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」である。日本医師会、日本の医学界は歴史から学ばすに、また、その歴史を繰り返そうとしているのであろうか。日本医師会、日本の医学界は「全員加入制の医師会」を検討しているようである。「患者の人権を最優先して守ろう」とする医療倫理観を受け入れずに「全員加入制の医師会」を作ると、「医療界ぐるみ」で「患者の人権」よりも何かの「意向」を優先させる可能性が出てくる。戦時下に制定された「国民医療法」による強制加入の「戦時医師会」のように。
日本の医療界が「患者の人権を最優先する」という「新しい」医療倫理観を受け入れなければ、「和田心臓移植事件」や「病腎(修復腎)移植」問題のような、個人や学会ぐるみの「医師による患者の人権問題」が繰り返されるということであり、「全員加入制の医師会」になれば「日本の医療界ぐるみ」の「医師による患者の人権問題」を繰り返す可能性が出てくるということである。
                     (2011.2.6. MRIC投稿)
# by shufukujin-report | 2011-02-19 21:11 | 23.2.19日本移植学会の本末転倒