(続き)
Ⅱ 被告らの主張する「修復腎移植の欠点」がいずれもあたらないこと 第1 悪性腫瘍の伝播 1 被告らの主張 被告らは、悪性腫瘍が移植によってドナーからレシピエントに伝播する危険があるので、悪性腫瘍患者をドナーとする移植は絶対の禁忌であって許されない旨主張する(答弁書7~8P、第2の2(2)②ⅰ)及びⅱ))。 最も端的な主張は、超党派議員勉強会での被告寺岡の以下の説明である。 「がんは移植しても発症しないとよく言われていますが、全くの間違いでありまして、これは様々な国際統計で明らかにされています。若干、「古い統計」ではありますが、43%のがんが、ドナー以外のがんが、発症しております。「最近のUNOSの統計」でも4.3%が発症しています。これはがんが完治して5年以降に提供した場合にでも4.3%がうつる可能性がありますと示しています。」 2 反論 ⅰ ペンの学説に依拠する主張について 被告寺岡の前記発言にいう「古い統計」とは、米シンシナティ大学のペン教授の1997年の論文を指すところ(「移植により担癌ドナーからがんが持ち込まれる可能性が高い」と唱え、世界の古い移植法の制定に大きな影響を与えた。以下、「ペン学説」という。)、ペン学説により、その後しばらくの間、移植臓器に発生するがんは、「すべてドナー由来」、つまり移植による持ち込みだと考えられてきた。しかしながら、レシピエントに癌が発生したからといって、その癌がドナーから持ち込まれたのか、レシピエント固有の癌だったのか両方の可能性がある。ドナーの癌がレシピエントに移ったことの証明には、レシピエントの癌細胞がドナーと同じ遺伝子を持つことが必要である(このことは吉田証人も認めている(吉田証人調書185項))。 現在では以下のとおり、その後の研究によって、臓器移植患者に発生するがんは、ほとんどがレシピエント固有の癌であったことが判明している。ペン学説は、遺伝子解析が行われていなかった古い時代の誤った説であり、被告らの主張には医学的根拠がない。 ア イタリアのペドッティ博士らは、2004年、腎移植後に発生したレシピエントのがんについて、6ヶ月以内に発生した10例と6カ月以後に発生した10例について腫瘍のDNAを、ドナーとレシピエントのDNAと比較したところ、DNA抽出に成功した17例中16例(94%)でレシピエント由来と判明し、残り1例では用いたSTR法という検査法では決定できなかったと報告した。 イ 米シンシナティ大学のペン教授の後任教授であるブエルは、2005、ペン教授の「移植腫瘍登録」症例の中に、小径腎癌を切除後に移植した14例があることを見つけ、長期追跡したところ1例も再発がなかったと報告した(甲C3)。 ウ 米ピッツバーグ大学とイタリア国立移植センターで大規模疫学的研究がなされたところ、当該研究に関する2007年1月のタイオーリらの発表では、癌のリスクのある108例の臓器移植について癌の転移はなかったと報告された(甲A46、C4、C13)。 エ ニコル教授は、2007年7月現在、43例の修復腎移植を行っているが、成績はよく、レシピエントへの癌の転移は1例もない(甲A42)。 オ スペイン・バルセロナ大学のボイス博士らは、2009年、移植後14年目の腎臓に発生した腎癌のDNAを解析し、それがレシピエント由来であることを証明した(甲C66(P12の13~15行))。 ⅱ カウフマン論文に依拠する主張について 被告寺岡の前記発言にいう「最近のUNOSの統計」とは、UNOS(全米臓器共有ネットワーク)のカウフマン論文(移植腫瘍登録:ドナー関連悪性腫瘍【トランスプランテーション誌2002年74巻2号】)を指すところ、当該論文では、34,933件の脳死臓器移植のうち、ドナーによるがんの持ち込みがあったのは15件(0.043%)、ドナーの血液細胞ががん化した例が6件(0.017%)あったと指摘し、「米国では、ドナー臓器によるがんの持ち込みは極めて少ない。移植待ち期間の患者死亡率の高さに比べると、担癌ドナーの受け入れに伴う危険率は低いので、ドナー基準の拡大を図るべきだ」と主張している。被告寺岡は、「がんのリスク」を強調するためか、「0.043%」を「4.3%」と100倍も誇張している(甲C66(P12の下から9行目~P13の2行目))。 ⅲ 「悪性腫瘍の伝播」と「部分切除」との矛盾 「悪性腫瘍が移植によって伝播する」という主張は、小径腎ガンの治療法として部分切除を称揚し、腎臓の全部摘出を批判する被告らの主張と矛盾している。 なぜなら、部分切除においては、小径腎ガンの部分のみを摘出しその余の部分を患者に残すのだから、切除しなかった部分からガンが再発するリスクは常に存する。しかも、部分切除術の場合には修復腎移植と異なって、腎臓を全部摘出したうえでガンの残存について精査することもできないから、がんの再発のリスクは修復腎移植におけるガンの伝播のリスクよりもさらに高いことは明らかである。 にもかかわらず被告らは、小径腎ガンの治療法としては部分切除をより適切なものとしつつ、小径のガン病変部分を除いた摘出腎臓を移植することを激しく非難している。このような姿勢ははなはだしく自己矛盾しており、科学の名に値しない非合理なものであるから、被告らのこの点を理由とする修復腎移植批判がご都合主義にもとづく「為にする」ものであることは明白である。 第2 腎臓全摘出の医療としての適応性 1 部分切除のみが標準治療ではなく、現在においても、全摘も標準治療とされていること ⅰ 被告らの主張 被告らは、「小径腎癌の標準治療は部分切除であり、全摘は許されない」と主張し、腎移植関連5学会も、直径4㎝未満の癌がある腎臓を用いる「修復腎移植の臨床研究」をもとになされた先進医療認可審査において、連名で厚生労働大臣宛に「要望書」を提出し、「小径腎癌の標準的治療は部分切除であり、腎摘出は許されない。」と主張している(甲B34。答弁書7P第2の2(2)①ⅳ)もおそらく同旨)。 ⅱ 反論 被告らの主張は、癌が発生した部位により部分切除が不可能なケース、設備等の理由で部分切除ができないケース、患者が部分切除よりも全摘を希望するケースがあることを無視ないし軽視しているばかりか、現実の部分切除の実施件数、率を考慮していない点で暴論としかいいようがない。 ア 藤田保健衛生大学の堤教授が2007年3月に国内の14病院での腎臓の全摘割合を調査したところ、病院間でのばらつきが大きく、かつ、小径腎癌で93%が全摘であった(甲C1)。 イ 2008年2月27日に「腎移植を考える超党派議員の会」の第2回会合が開かれ、厚生労働省から西山健康局長、原口臓器移植対策室長、木倉大臣官房審議官などが出席した。この日、厚生労働省から議員団に対して、議員団がかねてから要求していた「腎摘出の現状」と題する報告書(甲B30)が提出された。それによると、直径4㎝未満の小径腎癌の全摘率は82.5%で、上記①の堤発表の数値とほぼ一致していた。 ウ 堤教授、アメリカ・フロリダ大学の藤田士朗教授、および瀬戸内グループの医師らは、2008年、2大学病院を含む国内の10病院の病理医に対して、2004年から2006年の間における小径腎癌の手術調査を行ったところ、全腎癌数のうち46%が小径腎癌で、小径腎癌の全摘割合は83%であった(甲C2)。 エ アメリカのホレンベックBK外による2006年2月の論文によると、アメリカの6万6000例の腎癌手術のうち、部分切除は7.5%(全摘は92.5%)であった(甲C9)。 オ 2010年11月の日本泌尿器科学会雑誌(甲C41)においても、2007年~09年の間に教育施設において行われた部分切除術は全体の19.7%しかない(原告ら準備書面(13)の第1)。 カ 2011年3月の日本泌尿器科学会雑誌(甲C42)では、全摘と部分切除についての議論、報告がなされているところ、症例によって全摘と部分切除とが選択されるべきであるとされ、また、大病院においてさえ部分切除の方が圧倒的に少ない(原告ら準備書面(13)の第2)。 キ 学会提出の「要望書」に記載されている「小径腎癌の標準的治療は部分切除であり、腎摘出は許されない。」旨の主張を確認するため、厚労省は学会に日本のデータの提出を求めたが、学会が応じなかったため、厚労省は独自に全国のがん拠点病院に対してアンケート調査を行った。その結果は、2001年は全摘71%、部分切除29%、2005年は全摘70.6%、部分切除29.4%、2009年は全摘58.4%、部分切除41.6%、2011年は全摘46.7%、部分切除53.3%であった。すなわち、修復腎移植が被告らによって批判された2005年(平成17年)頃では、7対3の割合で圧倒的に全摘が多く、要望書が提出された2011年当時においても、ほぼ半々の割合で、医療現場の現実は、とても、「小径腎癌の標準的治療は部分切除であり、腎摘出は許されない。」という状況ではない。 ク 被告らが所属していた大学病院への調査嘱託の結果においても、小径腎癌でさえ、部分切除より全摘の割合が高かった(原告ら準備書面(15))。 ケ 世界的権威のある医学書であるキャンベル・ウォルシュ・ウロロジーでも、直径4㎝以下の小径腎癌でも全摘は標準治療とされている(甲C11 )。(このことは吉田証人も認めている(吉田証人調書179~180項)) 2 全摘と部分切除とでは、ドナーの予後に差は存しないこと ⅰ 被告らの主張 被告らは、①全摘と部分切除とではドナーの予後に差がある旨(答弁書16頁(5)②「全摘を行うことにより生命予後が悪化することが統計上明らかになっている」)、及び、②瀬戸内グループの行った修復腎移植の内の尿管癌のドナーの生命予後(5年生存率)が悪い旨(同旨、乙51、吉田証人調書19~21項)、主張する。 ⅱ 反論 ア 「統計上」とは何を意味しているのか明確でないが、乙第29号証(ヒューストン・トンプソンらの論文)を意味するのであれば、それに対する反論は、原告らの準備書面(4)の第4記載のとおりである。 なお、生存率は患者のパフォーマンスステータス(全身状態)が影響を与える重要因子であることは、吉田証人も認めるところである(吉田証人調書178項)。 イ 米クリーブランド・クリニック(米国トップレベルの病院)泌尿器科の1995年1月の調査研究では、単発性、小径(4㎝以下)、限局性、片側性、かつ特発性の腎細胞癌を持つ患者を対象とした88名の患者(全摘:42名、部分切除:46名)について予後の調査(48±29カ月)を行ったところ、年齢、性別、腎臓機能、糖尿病、高血圧、腫瘍の大きさ、腫瘍の位置、腫瘍の進行度において差異は認められず、全摘、部分切除、のいずれも、小径腎癌の患者の治療には安全で効果があるとされている(甲C15)。 ウ 米メイヨー・クリニック(同じく米国トップレベルの病院)泌尿器科の1996年6月の調査研究では、低進行度(ステージⅡ以下)の腎細胞癌の患者につき、185名の部分切除を受けた患者と、それらと年齢、性別、癌の進行度、悪性度が適合し、かつ全部摘出を受けた209名の患者について比較検討したところ、総生存率、非再発生存率、癌特異生存率のいずれも有意な差は認められなかった(甲C14)。 エ 米ミネソタ大学のハッサン・イブラヒム外の2009年1月29日付論文では、腎臓の全摘出は、糸球体濾過量(GFR)の低下を促すものではなく、生命予後の悪化も認められないとされている(甲C51。原告ら準備書面(17)参照)。 オ キャンベル・ウォルシュの「ウロロジー」においても、全摘と部分切除の効果は同様で、術後の生存率にも差異がないとされている(甲C54)。 カ 日本では、これまで全摘のドナーの予後についての調査は行われていなかった(吉田証人調書159~172項、被告大島調書186~187項)。すなわち、被告ら自身、これまでドナーの予後のデータを全く把握していなかった。 また、吉田証人および被告大島は自身、ドナーに対して、片方の腎臓を摘出すると生命予後が悪くなるという説明(インフォーム)をしていない(吉田証人調書175~177項、被告大島調書114項)。 3 自家腎移植は標準治療とはいえないこと 被告らはまた、「移植して使える腎臓なら元の患者に戻すべきである」旨主張する(なお、こうした術式を「自家腎移植」と呼ぶ)。 しかしながら、実際の医療現場では、自家腎移植はほとんど行われていないことは、被告らが所属していた日本におけるトップレベルの大学病院への調査嘱託の回答からも明らかである(原告ら準備書面(9)で詳述した)。 第3 切除の際のドナー体内のガン転移 1 腎血管(動・静)の結紮・切離の順序について ⅰ 被告らの主張 被告らは、答弁書P5(第2の2(2)①ⅱ))において、以下のとおり主張する。 ア 移植を前提とした術式と癌治療を前提とした術式は、その手術内容・順序が全く異なる。 イ 癌治療を目的とした腎臓摘出の方法であれば、手術操作による癌細胞の血管性転移を防ぐため、摘出に際し早い段階で腎血管(動・静脈)を結紮・切離す。これにより、出血量を最小限に止めることが可能であるだけではなく、特に、腎癌・尿管癌の場合には、癌細胞が血行性に転移することを防止するために、先ず、血流を遮断して臓器(腎臓)を摘出する。 ウ 移植目的の手術(移植用腎採取術)においては、臓器の虚血を防いで臓器機能を維持し、移植を成功させる確率を上げる観点から臓器摘出の最終段階に至るまで血流を維持する必要がある。 エ 今回問題とされた病腎移植においては、腎癌・尿管癌の治療であるにもかかわらず、最終段階で腎血管(動・静脈)が結紮・切離されるという移植目的の手術の手順をとっており、血行性に癌細胞の播種の危険を増大させ、癌などの悪性腫瘍の手術の術式として容認できない内容のものとなっている。 ⅱ 反論 ア 下部尿管癌に関しては、尿管への血流を支配している血管は腎血管(腎動・静脈)だけではない。特に、尿管の中部から下部は、主に腹部大動脈や腸骨動脈など、腎臓以外の血管から血液供給を受けているため、腎臓への血流のみを止めることは重要な意味を持たない(甲C16)。 よって、腎血管(動・静脈)の結紮・切離をいつの段階でするのかは問題とならない。 そもそも、被告ら主張の根拠となるような資料、文献はない。 イ 小径腎癌に関しては、最近は、小径腎癌の治療方法として、腎臓の全部摘出よりも部分切除の方が推奨されるようになってきたが、小径腎癌の部分切除の場合、癌病巣切除時の出血を止めるために、止血鉗子による腎血管(動・静脈)の一時的止血(結紮・阻血)が必要となり、これにより腎臓に「温阻血時間」(※)が生じる。よって、小径腎癌の部分切除では、腎臓の「温阻血時間」をできるだけ短くするため、止血鉗子による腎血管(動・静脈)の一時的止血(結紮・阻血)を癌部分の切除をする直前に行う(腎血管【動・静脈】の血流を可能な限り維持する。)。 このことは、腎血管(動・静脈)の結紮の順序は問題とならないということを示すし、小径腎癌の治療方法として部分切除が相当であると主張しながら、早い段階で腎血管(動・静脈)を結紮・切離しなければならないと主張するのは、矛盾主張である。 小径腎癌の全摘と部分切除では、血管の処理の時期が異なっても遠くへ腎細胞癌が転移する確率は同じであり、血管処理の時期の相違で転移する確率が異なると述べる文献はない。 ※ 臓器の血流が止まってから臓器を移植して血流が再開するまでの時間を阻血時間というが、とくに体温の状態で阻血がおこると、細胞の代謝が行われているにもかかわらず、酸素や栄養が補給されないため細胞が死滅するので、この時間を〈温阻血時間〉と呼び、心臓や肝臓では0分、腎臓や肺では30分とし、早く臓器を冷やして細胞の代謝を抑えるようにしなければならない。心臓が動いている脳死の状態で摘出すれば、障害のないまま取り出すことができ、温阻血時間も短くできる。 2 尿管癌の場合の尿管の切断 ⅰ 被告らの主張 被告らは、被告ら準備書面(11)P6~7(第6の1項)において、以下の通り主張する。 「尿管癌は、多中心性(1つの臓器に複数の癌病巣が発生する現象のこと)に発育することが多く、肉眼的に一見正常に見えても、顕微鏡で見ると、尿管癌の微小癌巣が存在することがあり、そのため尿管癌の手術においては、(尿管を切断せずに)腎・尿管・膀胱壁の一部を一塊として摘出することが原則とされているのに、瀬戸内グループが行った尿管癌の術式は、尿管を途中で切断するという手術手順を取っており、尿管癌が腎提供者となったドナーの体内に散布された可能性は否定できない。」 また被告らは、ヨーロッパ泌尿器科学ガイドライン(乙44)においても「尿管を切断することは腫瘍を播種させる可能性があるため、行ってはならない」と記載されている、とも主張している。 ⅱ 反論 ア 前提(問題整理) い まず、尿管癌の手術は、摘出された腎臓を移植に用いるかどうかに関係なく、腎臓、および尿管の全部摘出である。このことについては、原告ら、被告ら間に争いはない。 なお、摘出された腎臓、および尿管は、その後、廃棄されるのが通常であるのに対し、尿管癌の場合の修復腎移植(なお、修復腎移植に適応する尿管癌は、尿管の下部【膀胱に近い部分】に癌が発生した「下部尿管癌」のみで、尿管の上部【腎孟を含む腎臓に近い部分】や尿管の中部に癌が発生した上部尿管癌、中部尿管癌では修復腎移植は行わない。)では、癌が存する部分の尿管を切除して摘出された腎臓をレシピエントに移植する(当然、尿管は短くなる。)。 ろ 腎臓、および尿管を全部摘出する方法として、①尿管を途中で切断することなく、腎臓、尿管および膀胱壁の一部を一体として摘出する方法、②肉眼的に正常と思われる部分の尿管を途中で切断した後に、腎臓、尿管、および膀胱壁を摘出する方法とがあることに関し、被告らは、「②尿管を途中で切断した後に、腎臓、尿管および膀胱壁を摘出する方法は、許されない。」、「①腎臓、尿管および膀胱壁の一部を一体として摘出されなければならない。」と主張しているのである。 イ 反論 い 「尿管を途中で切断する」というのは、癌がある尿管部分を切断するのではない。「肉眼的に正常な部分の尿管を切断する。」ということである(なので、癌の播種はそもそも問題とならない。)。 ろ ①尿管を途中で切断することなく、腎臓、尿管および膀胱壁の一部を一体として摘出する方法だけではなく、②肉眼的に正常な部分の尿管を途中で切除した後に、腎臓、尿管、および膀胱壁を摘出する方法も、標準治療として認められている。 は 世界的権威を有する医学書であるキャンベル・ウオルシュ「ウロロジー」(甲C17、C53)でも、「(尿管の)管腔からの腫瘍の漏出を防止するために尿管と腎臓の連続性を保持することも考えられる。しかし罹患した腎臓は処置が困難であり(腎臓に脂肪が付き過ぎたりして手術操作に支障をきたす場合等のこと)、遠位尿管(「下部尿管」のこと)で肉眼による異常が認められない部位において結紮またはクリップ間で切断される限りにおいてはこの処置(尿管を切断することなく尿管と腎臓の連続性を保持すること)は不要である。」と記載されている。 すなわち、①尿管を途中で切断することなく、腎臓、尿管および膀胱壁の一部を一体として摘出する方法だけではなく、②肉眼的に正常な部分の尿管を途中で切除した後に、腎臓、尿管、および膀胱壁を摘出する方法も、標準治療として認められている。 に 乙44には、一見被告らの主張に沿うかのごとき記載がある。しかしながら、この記載に続く部分「4.2保存的治療」の部分では、「過去何十年に渡り、限られた適応での保存的治療は、根治術の生存率に引けを取らないことが示されている。」、「多くの泌尿器科医が尿管癌がUS(下部尿管癌)に存在する場合、例え浸潤癌であっても、腎温存手術を施行している。」と記載されている。この部分は尿管癌の場合の腎臓の保存的治療について記述したものであり、「保存的治療は否定されない」旨を述べているものである。 ところで、尿管癌の場合の腎臓の保存的治療を行うに当たっては、尿管にできた癌を切除する必要があるので、必ず、尿管を途中で切断することになる。したがって、乙44は、尿管部分を途中で切って摘出するという手術法を価値あるものとして認めているものであるから、被告らが乙44を根拠として上記術式が「絶対やってはいけない手術法」である主張するのは完全な誤り、もしくは悪質な誤導である。 また、乙44は、2004年(平成16年)のヨーロッパ泌尿器科学会ガイドラインであるが、その2012年(平成24年)版(甲C71‐1、2)(「3.7.11 根治的腎尿管摘除術」項)は、「上部尿管にある腫瘍の位置に関係なく、膀胱カフを切除する根治的腎尿管摘除術がUUT-UCCのゴールドスタンダード治療である(LE:3)(8)。RNU手技は、腫瘍切除中に尿管への進入を回避することによって腫瘍の播種を予防するという播種学的原則に従っていなければならない(8.69)」と述べている。このことからも、乙44を「尿管の切断は腫瘍を播種させる可能性があるため、行ってはならない」としているとする被告の主張は誤りである。 ※ 「腎臓の保存的治療」とは、尿管癌が発生した方の腎臓を全部摘出するのではなく、腎臓を残す治療のことを言う。主に、尿管癌が発生した方の腎臓とは別のもう一つの腎臓が機能していないなど、どうしても尿管癌が発生した方の腎臓を残さなければならない場合に行われる。 ほ 吉田証言 吉田証人は、以下のとおり証言した。 (1) 血管処理の時期の相違(最初にくくるのか、最後にくくるのか)で、ガンが転移する確率は異なると記載されている文献は知らない(吉田証人調書183項)。 (2) 最近は腎ガンの部分切除の割合が高まっているが、部分切除の手術方法は大きく分けて2つある。腎動静脈に非常に大きな血管に近いところを部分切除するときは、そこを取るという瞬間に駆血して、取った後に解放する。部分切除の非常に小さい4センチ以下、あるいは2センチぐらいの腎ガンに関しては、駆血しない(血流を止めずに、そのまま癌部分を切除する。)(吉田証人調書192~193項) 従って、①血管処理の時期の相違によりガン転移の危険が高まるという被告らの主張には文献上の根拠がないことが明らかであるし、②小規模な小径腎ガンの部分切除が「血流によるガン細胞の転移」の危険は無視できるものとして行われている以上、被告らの主張が為にするものであることは明白である。 第4 「高原解析」は信用できないこと 1 修復腎移植の成績は悪くないこと ⅰ 修復腎移植の成績が一般の死体腎移植と比較して遜色がないことは、本書面Ⅰの第3項で述べたとおりである。 これに対して被告らは、修復腎移植の長期成績が非常に悪いと主張する。被告の主張は、概略以下のとおりである(答弁書8P)。 ① 悪性疾患(ガン疾患)で摘出された腎臓の5年生存率は48.5%であり、同時期の生体腎移植の5年生存率90.1%と比較してきわめて低い。 ② 悪性疾患で摘出された腎臓の5年生着率は15.3%であり、同時期の生体腎移植の5年生着率83.4%と比較してきわめて低い。 被告らが主張する修復腎移植の上記数値は、被告高原が発表した研究報告「国外における病腎移植の研究に関する調査」(乙2号証)、同じく論文「腎疾患のある非血縁生体ドナーから移植された腎移植患者の低い生存率」(乙47号証の1、2)と共通するものなので、被告らの上記主張が被告高原の解析(以下単に「高原解析」と呼ぶ)を根拠としているものであることは明らかである。被告高原自身も、平成19年3月30日の厚労省における記者発表、及び同20年3月19日の「病腎移植を考える超党派の会」における説明(被告高原の本件加害行為の一部)において、「高原解析」の結果に基づいて発表・説明を行っている(「超党派の会においては被告相川も、「高原解析」に基づいた発言をしている)。 2 修復腎移植の成績の解析の本来のありかた ⅰ 医学統計において、異なった患者グループの成績を比較するには、比較する因子以外の患者属性をできるだけ均一化しなければならない(とりわけ患者の全身状態は重要な予後因子である)。異なったリソースの腎移植の成績を相互比較する場合には、生体腎移植・死体腎移植・修復腎移植による区分、あるいは病名による区分だけでなく、ドナー及びレシピエントの年齢、過去の移植歴(いずれも患者の全身状態を反映する指標となる事項である)などを比較するグループ間でできるだけ均一化しなければ、科学的に意味のある比較にはならない。 ⅱ 修復腎移植の(長期成績を他種の腎移植と比較する場合の)特性として、以下の各事項が挙げられる。 ア 修復腎移植のデータ数が少ない。 瀬戸内グループが行った修復腎移植は総数42例であり、一般の生体・死体腎移植と比較するには症例数が少ない(症例数が少なければ少ないほど、成績に関するデータとしての信頼性が乏しくなる)という構造的な問題点がある。 イ ドナーの年齢 瀬戸内グループの行った修復腎移植のドナーの年齢は一般の生体・死体腎移植よりも高い。市立宇和島病院の25例では、ドナー22人(ネフローゼ患者の両側腎摘出が3人ある)中11人(50%)が70歳以上の高齢者である。高齢者の臓器は老化が進んでいることが多いので、こうした臓器の移植の成績は一般に若年者の臓器と比較して悪くなる。他方、日本移植学会のドナー選択基準では65歳以上の高齢者は「好ましくない」とされているので、こうした高齢者の臓器が生体腎移植されることはほとんどない。 ウ レシピエントの移植回数 瀬戸内グループの行った修復腎移植のレシピエントの中には、移植を受けるのが「複数回目」という者が多い。市立宇和島病院の25例中では、初回7例、2回目12例、3回目4例、4回目2例である。複数回目のレシピエントはいずれも親族からもらった腎臓が機能しなくなり、2回目以後に修復腎移植を受けたものである。こうしたレシピエントは修復腎移植時には腎不全症状が悪化していることが多く、初回移植患者(特に生体腎移植患者)と比較して全身状態が一般に悪い。他方、移植学会のデータの圧倒的多数は(腎移植を複数回受けられる機会に恵まれる患者は日本にはほとんどいないので)、初回腎移植のものである。従って、この点で一般の生体腎・死体腎と単純な比較が可能なのは、25例中、修復腎移植が初回移植であった7例のみである。 ⅲ 従って、修復腎移植の長期成績を一般の生体・死体腎移植と比較する場合には、上記の諸点に留意して、実質的・科学的に意味のある比較結果が得られるようにしなければならない。 そのためには、 ア データ数を極力増やすことが強く求められる。 イ 患者の全身状態による偏差の影響を極力除去するため、ドナーの年齢やレシピエントの移植回数を要素として加えた多変量解析を行うことが望ましい。 ウ 比較は死体腎移植(献腎移植)との間で行うべきものである。(修復腎移植は多くの場合、腎がんが好発する60歳以上の比較的高齢者の小径腎癌を用いるので、健常者をドナーとする生体腎移植とは単純に比較するべきではない。死体腎移植との比較でなければ科学的意義がない。 これらを行わずに、数的に限定されたデータを一般の腎移植(とりわけ生体腎移植)と単純に比較するのは非科学的であり、恣意的な比較という非難を免れない。 3 高原解析の問題点 高原解析には、以下のとおり、多数の構造的な、あるいは説明不能な問題点がある。 ⅰ 解析の基本姿勢にかかる問題点 ア データの量が少ないのに、市立宇和島病院の25例のみを用い、呉共済病院・宇和島徳洲会病院の17例を加えないままで解析したこと 前項で述べたとおり、母集団の症例数が少なければ少ないほど、成績に関するデータとしての信頼性は乏しくなる。解析の信頼性を高めるには、呉共済病院と宇和島徳洲会病院の症例を加えて「修復腎移植全42例」のデータを使用すべきであった。被告高原はこれに反し、市立宇和島病院の25例のみを用いて解析を行っている。(呉共済病院・宇和島徳洲会病院に対しては、データ提供の依頼が全くなされていない。) イ 多変量解析を行うことなく、単純に生体腎・死体腎移植との比較を行ったこと 前項で述べたとおり、ドナーの年齢は移植される腎臓の適性、レシピエントの移植回数はレシピエントの全身状態という、いずれも移植成績に大きく影響する患者属性であるのに、被告高原はこれを無視して、機械的・単純に死体腎・生体腎(研究報告・論文においては生体腎のみ)のデータと比較する解析を行っている。 ウ 研究報告・論文において生体腎移植との比較のみを行ったこと エ 使用したデータの質に問題があること 市立宇和島病院においては、25例のうち過半のカルテが廃棄されており、これらについてはデータを人の記憶に頼らねばならなかった。しかも、被告高原が「解析に使用したデータの全部」と称する甲C34号証は、カルテや記憶などを編集した二次データであって、しかも(被告らの主張によれば)当該二次データの作成者や作成経緯は全く不明であった。 従って、高原解析に使用されたデータは質的に非常に劣るものであった。 現実に、 い 解析に使用したとされているデータ(甲C34号証)には、以下のとおり、多数の誤謬がある。 (1) 現実には死亡していないレシピエントを死亡扱いしている(甲C34号証の⑬の患者。甲C31号証の一覧表の31の患者に該当する)。 (2) 現実には死亡している患者を生存扱いしている(甲C34号証の⑭の患者。甲C31号証の一覧表の21の患者に該当する。⑭の患者は④の患者と同一人なので、どちらか片方だけが死亡していることはありえない)。 (3) 現実には(国外移転のため)追跡不能の患者を生存扱いしている(甲C34号証の㉒の患者。甲C31号証の一覧表の14の患者に該当する。㉒の患者は㉓の患者と同一人なので、どちらか片方だけが追跡不能であることはありえない)。 (4) 死亡患者の死亡日の大半が誤っている(②、④、⑦、⑯、㉔)。 (5) 平成12年に手術した患者の移植腎機能廃絶日が平成1年とされている(⑭)。 (なお、甲C31、C34、B8の各証に記載されたレシピエントは、書証により配列が異なるため、やや照合しにくい。そこで便宜のため、各書証に記載された手術日、移植腎の病名、及びレシピエントの性別等の比較の結果判明する対照状況の表を、本書面末尾に添付する。) ろ 甲C34号証と、それを用いた解析結果として発表された甲B8号証の別表に、重大な齟齬がある。 (1) 甲C34号証で生存として扱っているレシピエントを死亡扱いにしている(甲C34号証の⑭の患者)。なお上記取扱いは客観的には正しい。 (2) 甲C34号証で生存として扱っているレシピエントを生死不明扱いにし(甲C34号証の③及び㉒の患者)、生死不明扱いにしている患者を生存扱いにしている(甲C34号証の㉓の患者)。この取扱いは、㉒の患者については正しいが、③及び㉓の患者に関しては誤りである。前述のとおり㉒と㉓のレシピエントは同一人で③は別人なのであるが、被告高原はおそらく「③と㉒のレシピエントが同一人で㉓が別人」と誤認したのであろう。 このような齟齬が生じた原因は、被告らが高原解析の経緯を全く明らかにしないので推測するほかないが、被告高原が甲C34号証のデータの誤りに気づいて自らデータを収集補正したのか、あるいは解析中の混乱により齟齬が生じたのかのいずれかであろう(前者であれば「高原解析に使用したデータは甲C34号証である」との被告らの主張は虚偽である)。いずれにしても、甲B8号証の内容にも前記ろ(1)のような重大な誤謬がある以上、解析がずさんなものであったことは疑う余地がない。 被告高原は、このように質的に劣る市立宇和島病院のデータのみを使用し、カルテが完全に保存されていた呉共済病院・宇和島徳洲会病院のデータを使用しないで、解析を行ったものである。 ⅱ 解析手法に不備があること 被告高原は、研究報告においても論文においても、具体的な解析方法について全く説明しないので、解析方法の具体的な欠陥を指摘することが難しい。しかしながら、高原解析が結論とした数値には、現実と異なる、あるいは明らかに不合理なものがあるので、その「解析手法」にも問題があることは明らかである。 ア 現実と異なる死亡者数 被告高原は、研究報告及び論文において、「悪性疾患で摘出され移植された11人の中で、7人が死亡しており、その7人の内5人は移植腎が機能したまま死亡している。」と述べている(乙2号証9P、乙第47号証の2の2P)。 ところが、高原解析時には、市立宇和島病院でガンの修復腎移植を受けた11人中、生存が公式に確認できるもの4名、国により公式な追跡が不能となったもの1名、死亡していたもの6名であった。(甲C34号証と甲B8号証で「追跡不能」者が異なるが(甲C34号証では㉓、甲B8号証では(甲C34の③に相当する)13行目記載者)、数に関しては一致している。) 被告高原の「7人死亡」という前記記述が、現実の死亡者数なのか、それとも何らかの「解析」を経た数値なのか不明であるが、前者であれば明白な虚偽であり、後者であればその「解析手法」は正当なものではありえない。 イ 明らかに異常な「5年生存率」 被告高原は、「悪性疾患群」の5年生存率を、平成19年3月発表では46.7%、研究報告及び論文では48.5%としている。 ところが、市立宇和島病院でガンの修復腎移植を受けた11人中、5人(甲C34号証の③、⑩、⑫、⑯、㉑。うち⑯は移植後6年10か月で死亡)が移植後5年経過時に確実に生存し、1人(同㉓)が公的追跡不能、5人(②、④、⑮、⑰、㉔)が死亡していた。 カプラン・マイヤー法(被告高原は論文で同法を用いたと記述している)では、追跡不能となった者は分母・分子から除外しなければならない。この場合の「5年生存率」がなぜ46.7%ないし48.5%となるのか、被告高原が何の説明もしないので不明であるが、少なくともその「解析手法」は正当なものとは考えられない。 ウ 1人数回実施の場合のカウント方法、追跡不能例の取扱い 市立宇和島病院における修復腎移植のレシピエントのうち、2名は各2回の移植を受けている(甲C34号証の③と⑫、㉒と㉓がそれぞれ同一人である)。そのため、症例数は25例であるが、レシピエント数は23人である。また前記のとおり、カプラン・マイヤー法では追跡不能者は分母・分子から除外する。ところが被告高原は、論文において前記のとおり悪性疾患群の死亡者を7人と記述し、また平成20年に日本移植学会の学会誌「移植」に発表した調査報告書「市立宇和島病院における病腎移植の予後検討」において「25人の病腎移植患者は、2006年3月時点で、14人が生存、9人が死亡、2人が海外のため不明であった」と記述している。 このため、高原解析においても、①症例数と患者数の混同、②追跡不能者と死亡者との混同が、故意または未熟により行われていることが、強く疑われる。 4 問題点の性格と方向性 前項記載の問題点は、全て専門的知識がなくても一見して明らかな不備ないし誤りであるうえ、修復腎移植の成績を低く判定する方向に作用する性格のものである。とりわけ、①「瀬戸内グループ」の全42例中,市立宇和島病院の25件だけを殊更に取り上げて,生存生着率が顕著に高い呉共済病院・宇和島徳洲会病院の27例(10年生着率85.6%)を解析対象から除外したこと、②修復腎移植のドナーが高齢であること(70歳以上のドナーは,修復腎では42.9%であるのに対し,死体腎では2.1%,生体腎では4.3%)を無視して単純な比較のみを行ったこと、の2点により、高原解析による修復腎移植の成績が低くなることは、解析前にすでに決定づけられている。 各問題点のこうした性格及び方向性に鑑みれば、こうした問題点が解析者の恣意によらずに発生しているとは常識上考えられないので、被告高原の解析はその全体が非常に作為的・恣意的なものであることは明らかである。 5 解析及びその結果についての高原の態度 ⅰ 解析やデータについての説明をしないこと 高原解析においては、解析の内容そのものとは別に、①解析に用いた手法やデータの説明がなされておらず、かつ、②ⅰエにおいて指摘したデータの性格についても説明がなされていない。(より正確に言えば、論文においては「データの性格」についての言及がわずかになされているが、後述のとおり、その言及は虚偽である。) しかも被告高原は、本件訴訟においても、これらの説明をほとんど行わない。 ⅱ 論文における虚偽の記述 被告高原は論文において、「『病腎移植』42例はたった1人の医師が行ったもので、2病院ではカルテが破棄されていたので、記録保持が完全だった1病院の症例25例のみを病院の依頼を受けて解析した」と述べている。 しかるに、事実はこれと全く逆である。すなわち、 ア 市立宇和島病院においては、前記のとおり、25例のうち過半のカルテが廃棄されており、これらについてはデータを人の記憶に頼らねばならなかった。しかも、被告高原が「解析に使用したデータの全部」と称する甲C34号証は、カルテや記憶などを編集した二次データであって、しかも(被告らの主張によれば)当該二次データの作成者や作成経緯は全く不明であった。 イ 被告高原が「カルテが破棄されていた」とする呉共済病院及び宇和島徳洲会病院では、逆に、全てのカルテが完全に保存されていた。 被告高原がこのような事実を知らないわけはないので、上記の論文の記述は完全な虚偽である。 ⅲ 以上のような被告高原自身の「高原解析」に関する行為のあり方からも、「高原解析」が恣意的に行われた信頼できないものであることが裏付けられると言える。 第5 瀬戸内グループが行った修復腎移植の手続、及び個々のドナーの腎臓全摘出の適応性について 被告らは、修復腎移植の問題点としてほかに、①ドナーに対する腎臓全摘出に関するインフォームド・コンセントの欠落、②ドナー・レシピエントに対する「修復腎移植」についてのインフォームド・コンセントの不足、③移植に至るまでの(倫理委員会での)検討不足、④レシピエント選定の不公正、を主張している。 しかしながら、これらの問題は、修復腎移植という術式に内在する問題ではなく、単に「瀬戸内グループの行った修復腎移植にはそうした問題があった」という主張にすぎない。 原告らは、瀬戸内グループが行った修復腎移植のそのままの復活施行を希望しているのではなく、医療技術・術式としての修復腎移植の復活を望んでおり、被告らが「医療技術としての修復腎移植の復活」を妨害する目的で事実を歪曲した攻撃を行ったことを、不法行為として責任を問うているものであるから、被告らのこれらの主張は、本来、本件の争点とはなりえない。 従って、被告らのこれらの主張には、それ自体全く理由がない。 第6 患者の自己決定権の無視 1 患者の自己決定権 患者にどのような医療が行われるかは、ほんらい、患者自身が決定権を有している。医師は患者の自己決定に対して情報を提供し助言を行うことはできるが、それを超えて患者の意思に反して医療の選択を決定することはできないし、してはならない。医療行為の多くは(全てはと言ってもよい)それ自体リスクを有しており、リスクを持たない医療手段はそもそも存在しない。その選択は患者自身が行うべきであり、選択のリスクは患者自身が負担すべきである。医師は患者の選択を助けるために、選択すべき医療手段について正確な情報を提供し、正確な助言を行うべき義務がある。 腎不全患者における、あるいは(ドナーとなる)腎臓疾患患者における、修復腎移植の選択も、こうした患者の自己決定権の問題として考えられなければならない。修復腎移植が患者にとって(とりわけレシピエントにとって)選択の考慮に値する医療技術である以上、その選択を行うのは患者である。医師は患者に対して選択を助けるべく、修復腎移植についての正確な情報を提供し正確な助言を、行う義務がある。 2 被告らの行為は患者の自己決定権を侵害している 被告らは、修復腎移植が医療行為として(現時点では)禁止されるべきであると主張しているところ、 ア その主張を貫徹する目的で『修復腎移植という医療技術』に対する事実に反する悪宣伝を行い、 イ 国に対して専門家集団としての影響力を行使して厚労省ガイドラインを改定させて、修復腎移植が医療行為として行われることを禁止させた。 修復腎移植という医療技術そのものに対して反対することは、被告らの自由である。しかしながら、その反対の実現を遂げる目的で、専門家としての立場にありながら、修復腎移植に関して事実に反する悪宣伝を行うこと、及びこの宣伝によって国を動かして修復腎移植という医療技術を禁止させることは、被告らの自由に属する事柄ではない。 そうした行為は、腎移植を受けることを望む腎不全患者らに対して、医療行為を選択する自己決定権を侵害する行為である。また、自己の事情から腎臓の全摘出を望む腎臓疾患患者に対して、摘出した腎臓を移植用に提供する機会を奪う者であるから、ドナーの自己決定権を侵害する行為でもある。 3 修復腎移植のリスクとその選択 修復腎移植を受けることに、一定のリスクがあることに疑いはない。しかし同種のリスクは一般の腎移植(とりわけ死体腎移植)にも存するし、そもそも「移植を受けずに透析を継続する」ことにしてもリスクを伴う選択である。 最も重要なことは、患者が修復腎移植という医療技術について正確な情報を受け、正確な助言を受け、その情報と助言に基づいて自分自身の判断として修復腎移植を「選択できる」ということなのである。「人工透析を続けて緩慢な死に甘んじるよりは、一定の危険を冒しても修復腎移植を受ける」という選択は、ほんらい患者自身の人権である。「全摘も部切もありえるのなら、全摘して臓器を腎不全患者の役に立てる」という選択も、患者自身の権利である。事実に反する悪宣伝や、それを道具として用いて医療手段そのものを禁止することは、患者から人権たる選択権を奪うことにほかならない。 4 被告らの主張の不条理 被告らの主張が不条理であることは、吉田克法証人の供述で、はからずも明らかになった。 吉田証人は、「修復腎移植は未来永劫禁止されるべきものとは考えていない」旨述べる一方で、「レシピエントにガンが移る可能性が0.1%でも残っていれば、修復腎移植は容認できない」旨述べたのである。吉田証人の供述は、以下のとおりであった(吉田証人調書194~197項)。 194 先ほど、癌が移るおそれに関しては、1パーセントでも許容できないというお話でしたが、1パーセントというのは随分高すぎる数字だろうと思うが、例えば0.1パーセントでもいけないのですか。 移植に関しては、そのパーセントが非常に低くであろうが、それは駄目だと思います。 195 パーセンテージとして、あるいは可能性として残っていないと言えるためには、あなたのお考えでは、どんな論証が必要なのですか。 腎癌だけに関して言いますと、先ほど申しましたように、20年後にも出てくる可能性があります。 196 つまりレシピエント側に、20年でもまだ短いようだが、数十年間のレシピエント側を観察して、1例も出ないという決河が出なければ、担癌患者からの移植は認められないのだと、そういうお考えですか。 10年でも、私は短いと思います。 197 10年でも短い、だから数十年と申し上げましたが、そういうことなんですね。 そうです。 しかしながら、上記の2つの立場は、事実上矛盾している。なぜなら、 ア 「1%の危険」を否定するには100件以上の施術例蓄積が必要であり、 イ 修復腎移植の実施件数は、臨床研究においては年に数例を出ることはないので、楽観的に年10例と考えても、100件の事例蓄積には10年の時間がかかり、 ウ その全件について10年の予後観察を行うにはさらに10年の時間が必要(10年後に移植を受けるレシピエントを10年間観察しなければならない)である。 しかるに被告らの考えでは、①「危険の有無・程度を判断する」ための予後観察は「10年でも短い」、かつ②「1%でも危険があれば許容できない」ので、20年間にわたり臨床研究と予後観察を行っても、修復腎移植はなお許容されるに至らない。 ということは、被告らの考え方に従う限り、被告らや証人の目の黒い間には修復腎移植は復活できない、ということなのである。 吉田は(被告らも)科学者であるから、上記のことは当然理解している。理解しながらあえて上記のような証言を行う点に、彼らの偽善性がよく現れている。被告らは、医療技術としての善悪を超えて、修復腎移植の復活を許す考えが全くないのであり(その動機が嫉妬か面子かは原告らの知ったことではないが)、その目的を遂げるために「無理難題」を持ち出しているのである。 このような不条理な態度は科学者のとるべきものではないし、まして患者の利益を尊重すべき医師として許されないことである。 第7 被告らの批判の総括的評価 以上に述べたとおり、被告らの修復腎移植に対する批判は、 ⅰ 医学技術上の主張(第1~第3)は、 新たな医学的知見を無視してすでに崩壊した古い学説に固執する(第1)、 現実に行われている(被告ら自身も行っている)医療を無視し、実証されておらずかつ移植学会の従前の主張や現実の行動とも矛盾する(第2)、 世界的な医学常識に反し、かつ被告ら自身が行っている医療と論理的に矛盾する(第3)、 等の極度に偏頗な主張であり、 ⅱ 修復腎移植の成績に関する主張(第4)は、実際の成績を、解析姿勢、解析技術、表現のいずれの面でも極度に歪曲したものであり、 ⅲ 修復腎移植の手続面に関する主張(第5)は、過去に行われた移植の実施面にしか関係しない批判を、修復腎移植という技術そのものに対する批判に置き換えようとするものである。 従って、これらの批判は、①どの批判をとっても科学的根拠がないだけでなく、②これらの批判のあり方そのものから、被告らの批判が科学(医学)論の体裁をとってはいるけれども、現実には科学性に欠けることが判明する性格のものであり、③そのことのために、被告らが修復腎移植に反対する理由が実際には科学(医学)とは異なる理由に基づいていることを示すものである。
by shufukujin-report
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全体 27.3.20控訴審 控訴理由書(1) 27.3.20控訴審 控訴理由書(2) 26.7.1最終弁論詳細(1) 26.7.1最終弁論詳細(2) 26.7.1最終弁論詳細(3) 26.2.25 3.18証人尋問 第12回口頭弁論詳細 本物の医師になれる人 第8回口頭弁論詳細 23.2.19日本移植学会の本末転倒 23.1.25 臨床研究演題却下問題(2 23.1.25 臨床研究演題却下問題(1 23.1.25 臨床研究演題却下問題(3 第7回口頭弁論詳細 第6回口頭弁論詳細 第5回口頭弁論詳細(2) 第5回口頭弁論詳細(1) 第4回口頭弁論詳細(2) 第4回口頭弁論詳細(1) 第3回口頭弁論詳細(1) 第2回口頭弁論詳細(4) 第2回口頭弁論詳細(3) 第2回口頭弁論詳細(2) 第2回口頭弁論詳細(1) 第1回口頭弁論詳細(4) 第1回口頭弁論詳細(3) 第1回口頭弁論詳細(2) 第1回口頭弁論詳細(1) 林弁護士インタビュー 訴状詳細 訴状要約 レポートご案内 関連リンク
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