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第1回口頭弁論・詳細(3) 下西さんに感謝状


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        原告団に名を連ねようとしていた下西由美さん=当時(48)=と伯母の多田みどりさん(85)



最後に、訴訟を前に願いかなわず昨年11月にお亡くなりになられた、広島県呉市の下西由美さんについてお知らせします。

修復腎移植訴訟の原告団に名を連ねようとしていた下西由美さんは、お父さんの腎臓提供で移植を受け、8年間元気に過ごしていましたが、3年前から透析を始め、体調が徐々に悪化していました。

呉共済病院の光畑直喜医師のところで移植を待機していましたが、おととし7月に厚労省が修復腎移植禁止の方針を出したため、その願いもかなわず、まことに残念ながら昨年11月下旬に亡くなられました。48歳でした。

生前の下西さんの陳述書には、こう書かれています。


「私たち患者は、一日も早く病気腎移植を願っています。だれからも、もらう当てはなく、このままでは死ぬのを待って毎日、透析を受けなければなりません。一筋の光が差すよう、厚生労働省、移植学会の方に切にお願いします。

私自身も日本臓器移植ネットワークに、移植の希望登録をしていますが、現状では、死ぬまで移植のチャンスは回ってきません。修復腎移植に対して、新しい芽を摘み取ることなく、これから先、私たち患者の希望を捨てさせないようにお願いします。患者の目線に立った医療を考えていただきたいです」

という内容です。

下西さんは、お父さんから腎臓の提供を受けた後、お父さんに「臓器提供意思表示カード」を渡していました。そして亡くなられた後、下西さんの角膜は無事に第三者に提供されたのです。
実家には感謝状が届いています。





元患者、死に際し角膜提供
病腎移植訴訟、家族ら明かす


産経新聞 平成21年4月22日(水)付け

 病腎移植を厚生労働省と日本移植学会が原則禁止としたため治療を受ける権利を侵害されたなどとして、患者らが学会幹部らに対し起こした損害賠償請求訴訟の第1回口頭弁論が21日、松山地裁で行われる。その原告団に名を連ねようとしていた広島県呉市の下西由美さん=当時(48)=が昨年、亡くなった。下西さんは生前、「移植を待つ患者の気持ちはよくわかる」と、臓器提供を決意し、角膜を提供していた。

 下西さんは平成6年12月ごろに腎臓の難病「慢性糸球体腎炎」を発症、9年8月、父、淳也さん(81)から腎臓提供を受けた。その後、広島市内で働いていたが、手術から8年が過ぎ腎機能が低下。17年10月人工透析をはじめた。悪化は進み昨年春から歩行も困難になった。伯母の多田みどりさん(85)は、「階段を一段上がるのも辛そうだった」と振り返る。

 残された道は再移植だが、脳死腎移植などの腎臓提供は、移植を希望する患者に対して極めて少なく、臓器提供者が現れるのは絶望的。下西さんはすがる思いで、当時可能だった病腎移植に賭けた。

 ところが、一連の病腎移植問題で、この道も事実上、閉ざされた。それでも、わずかな可能性にかけ、原告団に名を連ねる決心を固めた。「病気の腎臓をもらってまで生きたいの?」。周囲の言葉に思わず涙がこみ上げたこともあった。「3年でも5年でもいいから生きたい」と願ったが、思いは届かないまま、昨年11月、亡くなった。

 下西さんは、淳也さんから腎臓の提供を受けた後、淳也さんに臓器提供意思表示カード(ドナーカード)を渡していた。「いざというとき移植を待つ人たちの力になろう」と話していたという。死後、下西さんの角膜は無事に第三者に提供され、実家には感謝状が届いている。多田さんは「同じ思いをしている患者もいる。病腎移植に、わずかでも希望があるなら認めてもらいたい」と話した。
by shufukujin-report | 2009-05-16 07:50 | 第1回口頭弁論詳細(3)
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